魔法使いの弟子

今年最後の投稿になります。


慌ただしく駆け抜けた一年が終わろうとしておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
年末のあれやこれやを片付けようとするのですが、あまりの寒さに慄いてしまいますね。
無理をして風邪をひかないようにすることが一番大切かなとも思います。

昨日は最後のクラニオセイクラルセラピーのセッションをしていただいて、身体のゆがみや内臓の冷えやら疲れやらをケアしていただきました。
そして大掃除を簡単に済ませて・・・ 大掃除なのに簡単って何だ(笑)

石たちと花、植物に囲まれたサロン。
床を拭きながら、このような場所で思うままにお仕事を展開させてもらえるとは何とも幸せなことだなぁとしみじみ感じ入ってしまいました。

今年の始まりはウスイレイキセミナーで、最後の師走にもカルナレイキセミナーとウスイレイキのサードセミナーが入って、レイキに始まりレイキに終わったと言っても良いかも知れません。
個人的にもようやく時が満ちたと感じてカルナレイキのティーチャーへと進むことが出来た年で、一つ段階を上れた安堵感があります。

様々に手法はあると思いますし、昨今ではもうそのような手法すら不必要と言う、それもまた概念なのですが、そんな在り方もありになって来ていますが、私はレイキを通して軸を積み上げるように伸ばして行くことで得ること、気づかされること、己の成長の過程が可視化できることの意義、そこに生まれる信念や自己への信頼は本当に大きな糧になってくれていますし、セミナーを開催する毎に気づきが深くなるこのエナジーのシステムに助けられ、進路を見せてもらっているのだろうと思います。
サロンの周波数もこの一年を通じて格段に変化を遂げました。


レイキを通じて得られるものとはいったい何か?

まだ私もレイキを知らなかった頃には、単なるハンドヒーリングの手技だと思っていた節があります。
しかしそんなものじゃない、レイキを通じて自己の霊的な成長を遂げることが可能になるのだと教えていただいて、サイキックな能力を自らの成長と共に拓いて行くための安心なツールのように捉え直して伝授を受け、エナジーの世界、この領域を旅する己のエナジーシステムを構築し、整え、健全なものにするべくレイキを取り入れるようになって行きました。

そのうちに次第に分かって来たこと、少なくとも私にはこう思えると言うものが芽生えて来るようになって来て。
エナジーを扱う者としての視点からの理解としてのレイキ、を、伝授の際には協調してお伝えするようになりました。

エナジーの世界は意識、意図が全て。 と言っても良いかも知れません。

だから、レイキをどのように捉えるティーチャーかによって伝授出来るものも変わって来る。
ティーチャーが何を意図し、レイキをどう捉えているかによって渡せるエナジーも変わって来るのだろうと。

つまり、ハンドヒーリングの手技としてレイキを教えたら、そうエナジーシステムが限定されてしまうのだと思うのです。

私達は自らが意図したエナジー領域しか扱うことは出来ないから。

可能性を閉じるようなことがあってはならない。

だから一つ大切に思っていることがあります。
ティーチャーとしてウスイレイキを伝えるのなら、カルナ、ライタリアンまでくらいの過程は習得してからでなければならないと思っていました。
つまり、伝えることものへ対する見解や意識の視点は、伝えるもの以上の領域から見下ろし、全体を俯瞰し、さらに上の領域で学んだことから見える理解や見解がなければならないと思うのです。

何かを学び、習得することに対する敬意とでも言うのでしょうか。

私達は皆、魔法使いの弟子です。
ミッキーマウスのように、魔法の止め方を学んでいないうちに箒に魔法をかけてはならないのですね。

数日間のセミナーでお伝え出来ることはそんなエナジーの領域の入り口にしか過ぎません。
そこから大海へ漕ぎ出し、どう進んで行くのかは個人の精神の習熟度次第です。

ここ年末に来て、私のレイキそのものの捉え方がまた次元を一つ増やした感があります。
それはヒーリングや精神世界を理解し歩もうとする過程そのものへの理解とリンクしているのですが、やはりこうした道を歩むことは精神修養であり、人間性の修養なのだと言うことです。

大げさに聞こえてしまうかも知れないのですが、レイキは人間修養そのものの道なのだなと思ったのです。
サイキックな世界のゲートとしての位置づけすらまだまだ薄っぺらい見解でした。

誰しもが魔法使いの見習いの弟子であると思ったら、魔法を扱うには人間性が伴うべきだと言うことは簡単に気が付けることでしょう。
小学生の子供にライフルを与えてはいけないことくらいは誰でも気が付きます。

レイキに限らずなのですが、何かの手技手法を伝えるためにはそれそのものの本質と可能性を自分の狭量な視野や想念で限定しないことと、その可能性を使いこなすために必要なのは本人の霊的、精神的、そして人間としての修養なのだということ。

ここは絶対に抑えておきたいポイントになりそうです。

どんなに時代が変わっても、きっとこれは大して変わらないことでしょう。

エナジーという目に見えないものを伝えているからこそ見えるもの。
カタチがないからこそ、視界に限定されずに見えてくるもの。
それは恐らく、人間の本質、意識の本質、精神、スピリットそのものの姿でしょう。


エネルギーの海を進む羅針盤としてレイキを操り、私はそんな意識の海を深く潜ることを好みます。
そうやって海底から拾い上げて来た宝物を皆様とシェアするのが私の喜びです。


今年一年、皆様には大変お世話になりました。
どうぞ良いお歳をお迎えください。

そしてまた来年も、サロンでお会いできることを楽しみにしております。

菫香