9年目のはじまり

一晩明けて、311という時間の8年目を過ぎました。

昨日は、いつも通りの普通の日。
とある人とある人を繋ぐ、と言うか、この方のご相談に乗って下さる方はこの方だろうという
お引き合わせをサロンで行った日でした。

専門の知識と経験、スキルをお持ちの方へ託せたことで私も一安心でした。
誰にも相談できずお一人で抱えて、さぞお辛かったことでしょう。

そう、私じゃなくても良いのです。
もっと適任な方がいる場合もたくさんある。
そんな橋渡しが出来るだけでも誰かのお役に立てているワケで。

特に大々的に祈りや瞑想やイベントをと言う考えは毛頭なかった8年目の311は、
目の前の一人の人と向き合うという、いつも通りの時間。

私の今の在り方は8年前の昨日からスタートしているので、もう特にこの日だけ特別に思いを馳せるとか、祈りをとかあまり思っていない自分がいます。
既に私の毎日は、あの日と共にあるのですから。

忘れない・・・とか言う問題でもない。

” 忘れない ” と思うということは、忘れることがあるということ。もうそんなでもない。

いつも思っています。

あの日に失われた命は、やりたかったこと、夢、これからの自分にたくさんの希望を持っていたことだろう。そんなたくさんの命を思うと、自分が自分のやれること、やりたいことを全うせずに生きるワケにはいかない。

せめて私は、私くらいは、自分の生き方を。
あの人たちができなった、道半ばで命を絶たれた人の分も・・・じゃないけれど、
自分の生を全うする義務があるんじゃないかと。

これをずっとあの日からの座右の銘くらいに思っていて、それはこれからも変わらないでしょう。

その思いは変わらずとも、やれること、出来ること、やることは形を変えていて。


東日本大震災の3か月後に会社を辞めて自分の魂の仕事をやりたい、
やろうと人生の舵を切った当初は、それでもやっぱり私は私でいることがまだまだ出来ずに、
何者かになろうとしていたのだろうと思います。

ヒーラーというお仕事の、ヒーラーという肩書の自分。みたいな。
自負、自覚、そこから芽生えるプライドと自意識で自分を支えていたのでしょうね。

だからなのか、311が巡ってくる度に、何かしなくちゃ、とか、素晴らしいイベントや会を主催出来ている自分でいたかったし、ヒーラーとして何か貢献している、活動している自分みたいなものが欲しかったし、そう出来ている人を見ると焦ったり、うらやましかったりして。

何かしなくちゃ、何かしていなくちゃ。

そんな思いでしたね。

偽善だったなぁと思います。


何かをしている自分でいることで自分の力不足や実力不足、ちっぽけさ、自信のなさを認識することから逃げていたのでしょう。

何者かでない自分でいられない時は、そういうスパイラルが発生します。

そして、何かをしている、何者かである自分でいることで自己承認欲求的なものを満たそうとする。
311にイベントをしようとか、瞑想会をしようとか言う背後にそんな思いが潜むのですね。
そしてやっている自分に満足して、参加している自分に満足するという場が生まれる。

そういうのは、もう辞めようと思いました。
私がプロデュースする場が、そんな自己欺瞞で埋まってしまうのは嫌だと。

何者かであることを脱ぎ捨てることは、この日本という国の社会においてはとても難しいものがあります。
この着ぐるみの下にある真の自己が未熟だったり幼稚だったり、ひ弱なままだったりすると猶更です。
しかし私達はそろそろ、この分厚い着ぐるみを脱ぎ捨てて本来の自己をちゃんと成長させてあげる必要に迫られていると思うのです。
未成熟な子供っぽい自己を、成熟した人間へと育てる必要があります。

それが延いては社会の成熟へと繋がるでしょう。
長い時間がかかりますし、世代レベルの変遷を伴う作業だろうと思います。
今の私達世代はその過渡期、変遷期を過ごしています。

・・・とても難しい課題ですよね。

自分が何者かであろうとする時、パターンは、それぞれに子供時代から形成されたペルソナによるものが大きいと思います。
女性の場合は特に母親からの言葉にならない意思のエネルギーでそれらを形成するのだろうと思われますし、それ以外にも父親だったり祖父母だったり、家庭環境に寄るものは大きいですね。

それらをもっと紐解くと家系に連なる因縁やカルマというものになって来るのですが・・・。

それに甘んじたままの人生を送るか、そこから負の連鎖やカルマを断ち切る生き方を取るかも自分次第。

自らを縛る想念、思想、考え方の外にもっと広くて多様な世界があり、自分の意思でそれを自由に選択できるのだと気が付いた時に人は因縁から解き放たれ、ようやくそこから自身の生命エネルギーを使うことを知りますし、そのエネルギーは内から湧き出るものだと分かるのでしょう。

そうなったらもう他者から生命エネルギーを奪うやり方で生きる必要がなくなります。

不毛な消耗がなくなります。

そして生命エネルギーとは愛そのものです。

自らの愛のエネルギー、生命エネルギーで自らを生きる。
文字にする当たり前のことが出来ていないのがこの社会です。

話がどんどん逸れて行きますが(笑)、私は昨今のスピリチュアルでよくある
プロテクトだとか浄化、保護、もっと言えば祓いなどというものも、そろそろ古い概念なのではないかと思っています。

他人に自己のエネルギーを奪われるからプロテクトしましょうとか、おかしいんです。
そういう概念と想念のやりとりの世界に自分を置いている、自己と他者を切り分けている、
分離しているからこその発想だなと思うようになりました。

想念の渦の中に自分自身を置いているとそうなります。
想念とはマインドが生み出すもので、マインドは分離です。

だから、とにもかくにも、自己の分離から統合へを言い続けている昨今なのです。
ここを越えると本当のひきよせや自己実現が始まりますし、魂の使命を生きる時間が始まります。

私もまだまだ、道半ばですけどね。

どうぞ、自分を大切に。自分を愛して下さい。

愛していると、声に出して自分に言ってみて下さい。

その波動、バイブレーションに満たされて下さい。

そして自分の思いや感じていることを、思いっきり感じ切って下さい。
会社や外の社会では自分の意思を通すことが難しい場合ってたくさんありますが、
そんな時でも、思いだけはちゃんと受け止めて。
実現出来なくても存在する思いをなかったことにするのはやめましょう。


それはあなたが価値がないからでも愛されないからでもありません。
たまたま状況がそれを許さなかっただけなのです。

自我意識が子供のままだと、それが自分を否定された、拒絶されたと勘違いしてしまうのですが、
そうじゃないと。


たとえあなたがあなたらしさを実現できていなかったとしても、あなたは愛されている。
どうかそう自分に言ってあげて下さい。
統合が進めばそのうちに、そんなあなたの望まない結果を引き起こす現実は消えて行きます。

と、話が逸れまくりましたが全て繋がっているのをお分かりいただければと思います。

9年目の時間のはじまりに

菫香