馬と命と人生と

春の時間になって来ましたね。
こちらのブログは少しご無沙汰してしまいました。

若芽が萌えるこの季節、何と気持ちが良いのでしょう。
世界の情勢、混沌とする日本の政治、人々の無関心とコロナに対する極端な怖れなど
ウンザリすることはたくさんたくさんありますが、やはり地球は美しい。

それなのに人間って何なの??? って、改めて問いたい時間になっています。

いやしかし、その人間の意識、精神がこの世界を創っていると言う思想に私はほぼagreeなので、
やはり自分という存在が、在り様をどこまでも探求するしかないのだろうとも思っています。

そんな中で、昨日はちょっとした合宿をして来ました。
以前こちらのブログでも書きましたが、今とある絵本製作プロジェクトに参加しています。

覚えていて下さる方もいらっしゃるかな?
猫のやっくんとそのご家族とのお話です。

やっくんの物語 その1 | Sanctuary (aseedofsanctuary.com)

やっくんの物語 その2 | Sanctuary (aseedofsanctuary.com)

やっくんの物語 その3 | Sanctuary (aseedofsanctuary.com)

このやっくんの絵本作りがいよいよ佳境に入っていて、そのお披露目会の打ち合わせを兼ねて。
そして動物繋がりということで、私が前から騒いでいた乗馬体験をして来たんです。


絵本プロジェクトチームの乗馬体験&絵本美術館を訪れるという合宿でした。
動物好きばかりが集まっているからこんな計画で盛り上がってしまったのですね(笑)

私は加えて、馬という生き物の知性、霊性、その辺りに触れてみたかったのもありました。
馬の意識に触れて、お話しできるものならしてみたい。

つまり、高度な知性を持った人間以外の生き物とコンタクトしてみたかったんです。
彼らが何を思い、どう人間を見ているのか、聞けるものなら聞いてみたい。

ボクじゃだめなの? by ケケ

やっくんの絵本は、命をテーマにしています。
人間の近くにいてくれる動物の在り方やその想いを、もっと感じてみたかった。

そんなこんなで出かけた合宿でしたが、馬は思った以上に温かくて優しくて。
そして、とても賢かった。

森の中を散策できるプログラムで、馬の背中に揺られながら私は
乗せてくれたおじいちゃんの馬から伝わって来る馬の霊的世界を見せてもらっていました。

それはとっても気高い馬の世界で、
草原を群れになって駆け抜ける美しく気高い馬たちのビジョンでした。
その中央にはひと際大きく美しい王様のようなボスの存在も。

そんなのを見ながらの乗馬だったので、ガイドスタッフさんが「馬の頭脳は人間で言うと3,4歳くらい」と仰ったのについ反応して、「もっとありそうですけどね????」 と食いついてしまい、後ろでそれを見ていたお友達に後からツッコまれました(笑)

馬のエーテルの世界。

それは普段接しているケケやミィからは感じられないものでした。
エーテルの馬の領域とは、アストラル的存在である飼い猫の意識の領域とは全く違うんだなぁと。
馬の意識領域は恐らく野生の動物のエーテルフィールドに近く、
飼い猫という存在はより人間のアストラル意識に近くなっているのだろうなと思います。

一緒に行った佐和子さんと佑香さんはそんな私の話も興味深く聞いてくれました。
二人とは読書会をご一緒しているし、絵本プロジェクトもご一緒していますが、
そもそも二人は私が出会う以前から人生をどう生きるかを大きなテーマとしてコンビで活動をされていたので、
今回はそこに私がジョインしたような感じ。

そんな三人旅になったので、夕食時、そしてお部屋での雑談もとても面白く、死生観がテーマになって行きました。
つまり、どう生きるか、そしてその延長にあるどう死ぬかについてを語り合ったんです。

私はこんなお仕事をしているので、霊的なフィールドから見えることや、やっくんのケースや、身内の死を通して見えた世界、理解した命の在り様などを通じて、自分がどう死ぬのがベストなのかはよく考えます。

でも、どうやらそれは一般的ではないらしくて、そんなこと考えたくもないと言う人も多いのだと。

それを聞いた私は心底驚いたんですけどね(笑)

夜桜とシャンパンで語り合いました

こんなブログを訪れて下さる方だからお伝えしておきますが、そろそろ私達は死に方をデザインするべき段階に来ていると思うのです。


つまり、ノープランであちら側へ行くのはもう時代遅れになって行くということであり、

それはまた、アチラ側へ行っても受け身でいるのですか?ってことです。

死んだら全てが終わりだと思っている人はそういう世界へ行きますし、
天国と地獄があると思っている方はそういう世界へ行くでしょう。

と言うよりも、そういう想念の世界を自分で創り出します。
私達の意識は肉体を離れても尚、想念を生み出して行くのですね。

しかしあちら側へ行って突然、主体性を持って新しい世界を創りだすなんてことは不可能ですので、
そのためには生きている今からそういう生き方をして行かなければならない。
つまり、死後の準備のための生き方を今からして行くってことになりますね。

だから、本当のエンディングプランってお墓や遺産をどうするかでは終わらないお話だと思うんですよね。

全てを脱ぎ捨てて身軽になっても意識は継続するのだとしたら、やはりそれ相応に準備が必要です。


つまり私達は、生き方を通して死ぬ準備をしている。

そして私が一番避けたいのは自己の意識の消滅なので、
そうならないためにも主体的な生き方をチョイスしておきたい。
簡単に言うと、そんな感じです。


どれだけ自らの意識を使って人生をクリエイトしていくか。
それによって死後に継続性を持った意識を創造しておくってことですね。

もうね、人類はそろそろそういうデザイン性のある意識を創って行った方が良い。
そうすることが実は地球のためになります。

ヌーソロジーの半田さんは、地球の環境が荒廃するのは人間の精神の荒廃の結果と仰っていました。
だとしたら私達は自分の生き様を良くすることによってのみ、精神をより豊かに向上させることによってしか、
地球への恩返しが出来ないと言うことになります。

死ぬことと、生きること、地球への貢献、それらは実は全て繋がっている。

ノーデザイン、ノープランで再び地球に舞い戻って来て、
何も考えずに新しい人生を生きて益々地球を疲弊させるのは避けたいですよね。

人生をデザインしましょう。
人生をクリエイトしましょう。

今は物理的に、物質的金銭的に不可能だと思うことだって、ずっと今の状態が続くと思わない方が良いです。
そんなところに意識をフィックスさせておくのはもったいない。
些細なことからでも、自分の主体性から何かを動かしたり、創り出したり、生み出して行きましょう。

合宿の夜の雑談で、定年を迎えても自分が何をしたいのか分からないオジサマのお話を聞いて心底ビックリしました。

確かに、ひと昔前ならそれが普通だったのかも知れない。
日本という国全体がより集合意識的に動いていた時代です。


でもね、今はもうそんなんじゃないし、
そのまま死んだらその方の意識は消滅するんじゃないかなと懸念します。
若しくは何も考えずに新たな輪廻のサイクルに吸収されるでしょう。

自らの意思で自分の人生を創造し、デザインし、クリエイトして行く。
それが当たり前の世界がもうすぐやって来ます。

だから、自分が何をしたいのか分からないなんて寝ぼけたこと言ってる場合じゃありません(笑)


それでも分からない人は、よくよく自分と向き合う必要がありますね。
視たくない、知りたくない、自分のホンネを自分で掬い上げて抱きしめてあげる必要があります。

たとえそれが世間の常識や正当な評価、まっとうな人生と言われているレールから外れたものであっても、です。

それを実践しなければならないのではなくて、実現させられないものであっても認識することが大切ですし、
そもそもそれらの常識は外部の人が勝手に作り上げている人間の精神をコントロールするための都合の良いものさしでしかありません。

自己のホンネを認めてあげられないのは、実現できないとはなから諦めていたり、子供の頃に埋め込まれた制限や過去に埋め込まれたインプラントに要因があったりと様々ですが、今すぐ実現出来なくても良いと理解しましょう。

それらを見つけ、認めて理解して抱きしめてあげること。
たとえどんなに惨めでも、その想いを自分が受け止める覚悟と勇気。

それがあれば、打開策や新たなクリエイションの方向性はいずれ自ずと見えて来ます。
人間の思考や意識って実はかなりオルタナティブで、そこは別次元の存在から見てもかなり興味深い点だと思います。

そう思うと、死ぬ前にやらなくちゃならないことってたくさんあるんですよね(笑)
たくさんたくさん、この人生で出来る限りのことをやり遂げて新しい世界へ向かいたいものですね。

人間の意識は、高次元から見るとこんな五里霧中に見えているそう。

馬と命と人生と。

それでは今日はこの辺で。

橙香