ノートルダムの奇跡

パリ、ノートルダム大聖堂。
驚愕の火災事故の報を目にした時には信じられず、言葉がありませんでした。

800年余の時代をパリの中心として、パリのハートとしてそこにあった大聖堂。
幸いにして屋根部分のみの焼失の様子で、多くの文化財、そしてあの薔薇のステンドグラスは無事のようですね。
修復作業のために多くの彫像やガーゴイル達も外されていたし、4年前には正確な建築データもデジタル化済みだったと言うのですから、もう凄いタイミングで燃えたのだなぁと思ってしまいました。

しかし哀しみと喪失感は凄いものがあります。

私がここを訪れたのは2011年の秋でした。

母と巡ったフランス旅行の最後がここで、モン・サンミッシェルからルーアンのジャンヌ・ダルクの聖堂、ロアール河の古城群、ヴェルサイユ宮殿、旧ロスチャイルド家所有だった古城ホテルなどを巡った最後がパリ市内フリー観光で。

早朝の我らが貴婦人は白く輝いて本当に本当に美しかった。

日曜日の朝だったので他に行くところもなくて、実はこの時はあまり興味もなかったのですが、
パリの中心の大聖堂、ここは行っておかないとというだけで母と一緒に中へ入りました。
ミサが始まる直前だということすら分ってなかったのですから今から思うと呆れますね。

たくさんの人が着席する脇を私達観光客は奥へと進んで行きました。
その途中でパイプオルガンが響き始めて、大聖堂全体が震えるような、身体中の細胞にビリビリと響きが伝わってくるような、荘厳な音色に心を奪われたことを覚えています。

こんな場所でこのタイミングで、ミサに参加することになった私と母。
フランスの旅の最後がこれでした。

凄かったです。
何を言っているのかなんて全く分からなかったのに、魂が震えるとはこのことで嗚咽の涙が止まりませんでした。
今思うと私の贖罪に対するマリア様の慈愛だったのだろうと思います。


泣きはらした私がふと後ろを振り返るとそこにはジャンヌ・ダルク像が。
この時は心底ビビりました。

パリ・シテ島はパリの始まりの地。
その地下には今でもカタコンベと言うローマ時代からの集団墓地もあります。

この母とのフランス旅行は、古い古い魂の記憶を癒す私の旅の始まりでもありました。
帰国後2日目の夜にサードアイが開いたのも何度も書いていますが、ノートルダムでの出来事がこの旅路の最後の仕上げになっていたのは間違いありませんでした。

私の魂の旅路のスタート地点。

それが燃えてしまった。

衝撃の中で、見えていたヴィジョンがありました。

焼け焦げた黒い土から、黄金のマリア様が復活するというもの。

私の哀しみ、集合意識の嘆きはとても大きく悲しいものなのですが、見えて来るものは喜ばしいもので、もしかしたらこれはカトリックの権威や宗教の枠組みに閉じ込められ歪んでしまったマリア意識が本来の姿を顕すための事象だったのではないかと思えました。

とは言え私も含め、集合意識の嘆きと哀しみの深さは相当なものがあります。
人間の意識が新たな領域へ踏み入れるには、そんな過去からの哀しみを乗り越えて行く痛みを伴うものなのでしょうか。

涙にくれながら瞑想に入ると、焼けたノートルダムの上にマリア様が顕れました。


泣かないでいい。

私はあなたの中にいる。

そう告げられてまた泣いてしまったんですけどね・・・。

私が視ていたマリア様は、マグダラのマリアであり聖母マリアであり、イシスであり、イナンナであり、観音であり、瀬織津姫であり、ガイアの神聖そのものです。
つまり、宗教が覆い隠したガイアの母性そのものがこれからの時代に復活することの「兆し」を
私達は目にしているのだろうと思われました。


再建の動きが始まる中、人々の意識はきっと新たなものへとゆっくり遷移するでしょう。
外にある神や権威の前に跪き、許しを請い、自らをひ弱なか弱い存在として行く宗教は終わって行くことでしょう。
そして誰もが、自らの内にある神聖に目覚め、自らのキリスト意識、マリア意識に目覚めて行くのでしょう。

まだまだ哀しみは消えませんが、この喪失感を乗り越えて新たな時代へ向かえますよう。

そして私は本当にパリを愛しているのだなぁと改めて感じています。
パリの街とはマリア様そのものですからね。

理由も分からずとにかく魂が魅かれて、好きで好きで、訪れる毎に大きな変化が起こる場所。
そんな土地が人それぞれにあると思うのですが、私にとってはそれがパリです。
また近いうちに行きたい、会いたいなと思います。

菫香


人として生きる・・顕現とエネルギー・・

少し間が空いてしまいました。

春の始まりのアップダウンなのでしょうか、なかなか難しい時間を過ごした気がします。
こうして何か書こうという気力も湧かずに忙しなく過ごしていましたが、昨日、おとといと完全にお仕事を離れて、久しぶりにヨガにも行けてスッキリしました。

まだまだ桜も楽しめました。

気持ち的な面もですが、やはり現実的な部分も。
今回は夫との向き合い方を改めて見直した感じです。

家族や身近な人との関係性は、ダイレクトに自分の状況に反映しますね。
レイキなどのワークやセッションを受ければ解決するというものでもなくて、やっぱりちゃんと向き合うことが大切で。

特に夫婦なんて他人同士、しかも男女という全く相反する性質同士が一つの家で生活するのですから、自分が感じていること、思っていることを真っすぐ正直に伝え合うことの大切さと、相手の自由意志をどれだけ尊重するか、その人の育ってきた環境や背負っているバックボーンをまるごと受け入れる度量、いろんなことを試されます。

でもこれが人として他者と向き合うことの第一歩なのかなぁとも思ったり。
内側の在り方がそのまま関係性に顕れる一番分かり易いものですね。

私はこうして見えない世界、意識の世界とエネルギーを扱うお仕事をしていますが、
それが現実的に必要な対処や、自分や他者と向き合うことを避ける ”隠れ蓑” になるようなことはしたくないと思っています。
何でもエネルギーで解決できるというほど現実は甘くないし、そもそも物質界と意識の世界は表裏一体というか、一つの現実のそれぞれの側面でしかありません。
人として向き合うべきこと、伝えるべきことを言葉や行動で顕す必要は当然あると思います。


勿論そういった行動が出来ないほどに疲れ果ててしまっていたり、傷ついてしまった魂は癒されて回復に向かう時期を過ごす必要があるでしょう。
羽を休める時間も必要でしょう。

そんなときはしっかり休んで自分を労わって癒してあげれば良いと思います。
そしてまた、フィールドに出て行ければ良いですね。

アクアプレーズワイヤー作品

インスタに揚げていますが最近モダンカリグラフィーを習い始めました。
美しい書体を練習するのは楽しい時間です。

ワイヤーアートを始めたばかりの頃のように、これから徐々に自分のものにして行ければ、そして自分の表現にして行けたらいいなと思っています。

こうして何かを創る、生み出す作業をしていて常に感じるのが、現実化、具現化するという作業そのものに人間は途方もない時間と労力を捧げて来ているのだということです。

いつだったかミラノの大聖堂を特集するテレビ番組を見ていたら、美しく荘厳な大聖堂を人々が300年かけて築いたというナレーションがありました。
今も修復や維持管理は続いていますし、サグラダファミリアのように今なお建設中のものだってありますが、私はそこで人が物質界に何かを具現化するためにかかった時間というものに思いを馳せました。

エネルギーや意識は確かにあるし、その世界から生み出されるインスピレーション、啓示が物質界を創造する源であるのは確か。
しかし、地球環境、自然環境とは違って人間は自らの創造性をずっとずっと、これから先も発達させ続けて行くのでしょう。

マザーガイアのような完璧な創造は、まだ人間には出来ませんからね。

ガイアの創造性は完全性ですが、人間の創造性は発展途上なのだろうと思います。

モノにする、形にすることの難しさ、イメージのように形に顕すことの出来ないもどかしさと格闘し、試行錯誤し、自分の出来る限りの中でより良いものを生み出して行く。

ワイヤーワークを始めてかれこれもう7年ほどになります。
製作が途切れて間が空くと手が鈍るのも良く分かりますし、継続して行くことで鍛錬されて行くのはどんな創造も同じでしょう。


カリグラフィーもこれから数年スパンで取り掛かるべきものだと思います。

物質界で何かをカタチにするには時間がかかります。
当たり前ですがエネルギーの世界とは違うので、モノにする、カタチにするという作業には自分の技術鍛錬と精神修養が必要で。

また、目に見えるカタチで表現することによって他の人の目に触れ、批判や批評に晒されます。
それを怖れる自分をまた俯瞰して観たり。

と、現象化することそのものに付随する感情や思考のプロセスを目下経験中です。

最初にエネルギーありきなのは当然のこととして、それをどうやって現象界で物質化、顕現させるか、そこには技術鍛錬と試行錯誤、知識と技術の学びや発見と言った人としてのプロセスがあって、人間としての顕現が行うべき大切なことはそこなんじゃないかと思う次第。

他者との関係性、そして自分が何かを生み出す作業。
いずれも試行錯誤して、もがき足掻きながら答えを見つけていくプロセスそのもの、経験そのものが自分の価値となり宝となりますし、ヒール(癒し)がその中で起きて行くことだって往々にしてあります。

いずれもこの人間というボディを纏って物質界に生きる私達がやって行くべきことですので、
スピリチュアリティやエネルギーワークがそこを履き違えることがありませんよう。

そして最後に今日は、今あちこちで話題になってはいますが、昨日の東大入学式で上野千鶴子さんが述べられた祝辞が素晴らしかったのでご紹介したいと思います。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

私が一番感銘を受けた部分を一部抜粋します。

「 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」

是非全文をご覧になって下さい。

国内最高学府でこのようなお話がされたことが嬉しいです。
東大が変わったら日本が変わりますね。
スティーブ・ジョブズ氏の銘スピーチのように語り継がれて欲しいです。

私のやっていること、生み出しているモノも、そんな世界の一助になれますよう。

祈りと共に。

菫香




新時代へ向けて

おはようございます。

4月1日、桜も見頃を迎えて新しい時間の始まりを肌で実感しますね。
昼には新元号もいよいよ発表されるということで、日本は本当に変わり目、節目の時間に入ります。

春分明けてから私も心境がどんどん変化していて、なかなかブログに綴るところまでまとまらずにおりました。
今もその過程にあるだけなのですが、人生ってずっとその過程にあり続けるのでしょうね。
特に今は時代のスピードが速すぎますので、出来たら、まとまったら、完成したらアウトプットしようと思っていたらタイミングは過ぎ去ってしまいますしね。

私は特に、変化することを定めとしている者なのだろうと感じます。
冥王星の影響が強いチャートですのでね(笑)

さてさて、そして。

サロンオープンデーにお越し下さった皆様、ありがとうございました。
それぞれのタイミングでお越しいただいたことで出会いがあったり、その場が出来上がって行くのはまさにアルケミーだなと思います。
ショップセールも含め、たくさんの石がこの期間にお嫁入りさせてもらえました。
それぞれに新しい持ち主の場所で活躍してくれることを願っております。
でも、まぁ、半額セールなんて二度とないでしょうね(笑)

私もこの期間を通じて、やっぱり私は天然石が好きだし、天然石にどれだけ支えてもらっているかを実感していました。
所有の時代はとうに終わってはいるものの、それでも手元にいてくれる石に支えられていることはとても良く分かります。
天然石と共に過ごす日々をまだまだお伝えして行くことになりそうです。


それは新しい時代になっても変わらないことでしょうね。
鉱物の時間は人間の時間から見たら普遍と言っても良いもので、そこに普遍性を見出し、宇宙へと意識を繋いでくれるのですから、まだまだその辺りをお伝えして行かなければならないと思います。

オープンデーでお会い出来た方には少しお話ししたのですが、先日宇宙講座で太陽系についての新情報や最新の発見を聞いて来まして、そこで私が理解したことがありました。
それは、今まで宇宙精神世界で言われていたことは、やっぱり人間の知識、科学技術情報に則ったファンタジーだったのだなというものです。

宇宙意識からのチャネリング情報や銀河宇宙の歴史なども、所詮は受け取る側の力量、器によって理解が歪められたり、零れ落ちたりしているのだと思われます。
だからこそ常に新しい情報はアップデートして自らの理解の器を深く広くしておく必要があるワケで、そうすることで新しい科学の発見がある毎にスピリチュアリティの靄も晴れて行くことになるでしょう。

ということで私も言うことやお伝えしたいこともどんどん変化して行くかと思われますが、どうぞご理解下さい。

科学の良いところは、今までの定説や仮定が最新の設備やコンピューターの演算能力のアップ、天体観測の技術の向上などによって覆されても、それを由と素直に認めることだと思います。

間違いが悪いことでも劣っていることでも恥ずかしいことでもなんでもなくて、単なる過程なのですね。
新しい事実や理解が導き出されるための過程に過ぎない。
私はその姿勢が好きだなぁと思います。

間違いを批判して、人格まで否定するような行き過ぎた批判、避難が多すぎます。
誤り、間違いは知らない事実が明らかになれば訂正されるものですし、そこに人間性を絡める必要はないと思いますし、それで他人を貶めたり攻撃対象にする材料にすることもない。
こうだと思っていたけど違ったんだね、で済む話です。

新しい事実が明らかになれば、自ずと常識もアップデートされるもの。
今は常識と思っていることだって、いずれはびっくりするような古い説に感じられるかも知れませんし、人間の歴史なんてその連続で文化、文明は変遷して行きます。

正確な情報や事実に基づく意識、考え方の変化はそういうものであると受け止めて、非難や批判、他者を貶める材料に使うことは避けたいものです。

そのためにも、私達はまだまだ学びが必要なのだろうと思います。

知らない世界を見て、知らなかった情報や知識を得て、己の見分と知の領域を広げていくこと。
その過程でアストラル的な世界からメンタル意識へと自身の意識のシフトが起こって行くのが望ましいのだろうと。

随分前に読んだ本の記述に、医者がなぜ患者の感情的なものに引きずられたり、いわゆる ”受けちゃう” ことが少ないのかと言うと、日々学びを続けていることでメンタル意識が発達しているからだというものがありました。

まだまだ精神世界の学び初心者だった私は大いに納得したのですが、今ならそれが実感として良く分かります。

そして未だに人間はアストラル的、感情体のエネルギーに振り回されることが多いわけで、それらから一歩足を引き抜いて俯瞰する視点を持てるようになれるのがメンタル意識の発達です。
決して感情を殺してしまったり、非難否定するものではなくて、それらを味わい愛でる余裕のようなものでしょうか。

私は科学と人間の精神世界の発達はシンクロすると思っています。
だから個人レベルにおいても、知らなかったことを知り、世界が広がることと意識の領域の探求の深みが増すことは魂の旅の両輪になるのです。

新時代には、そんな意識が当たり前になって行ったらいいなぁと思います。

平成の30年間、天皇陛下におかれましては本当にご尽力なさったことと推察いたしますし、お言葉にあった通り全身全霊でご公務を全うされて来られたことと思います。
そしてそれは同時に、昭和というアストラル的な時代の後処理のような時代でもあったように思えます。


だからこそ、新元号の新しい時代は明るみになる様々な過去の事実を歪曲せずに捉え、必要な過程を経た先に見えて来る新たな人類の在り方へとシフト出来るような時代になると思いますし、そうして行かなければならないとも思います。

そして、より自由に。

自由な時代に。

私自身もより自由になろう、なりたいと思っています。

さて、あと2時間弱で新しい時代の声を聴きますね。
新しい時代が一人一人の魂の表現、顕現する地球になりますよう。

菫香



春分ゲートオープンとユニバーサル・ケアテイカー募集

昨晩突如 FBに文字だけの投稿で揚げたのですが、私は昨日より春分のゲートが開いたのを体感しました。
これはどうやら、21日をピークにその前後数日間開くのですね。

その前日は調度、辻麻里子さんの遺作である ”藍の書” を読んでいました。
ちょっと風邪気味だったのでこれと言って何もすることもしないで良いようにして、ベッドの中で銀河の書に浸っていたのですが、ここにも春分点のお話が書かれていたのもタイムリー。

一部抜粋すると、

”この地球上において1年のうちに4度、地球の中心に直角に突入できる日がある、それは、春分、夏至、秋分、当時である。これらの日に、地球の中心にある鐘を鳴らすことができれば、その音はすべてをチューニングしながら地球全体に鳴り響くだろう。
その音が惑星のグリッドを護り、生命のグリッドを維持し、太陽系や宇宙の果てまでグリッドを守護することにつながっている。
生命がバラバラにほどけないように、太陽系や惑星の運行が護られ調和を保てるように、これらの音を純粋に保つ必要があるのだ。”

と。

風邪気味でベッドで一日過ごした日も含め、ここ数日私はとても不安定でした。


藍の書は確かに読んでいて、そこに綴られているグラストンベリー・ストーンヘンジの行に自分が体験した時のことを重ねてハートが震えるのを感じたりはしていたものの、糸が切れた凧のような、感情的な意識に呑み込まれたまま地球との繋がりを失っていた・・・のだと、今は思います。

人間てメンドクサイよね・・・ と、道端の名もなき花に話しかけていました。

アップ準備中のフローライトインクォーツ

それでもサロンへ出てきて、石たちに囲まれると徐々に落ち着いて行きます。
これは少し瞑想が必要・・・と思っても、なかなかうまく入れない。
この時の私はかなりマインドがざわついていたのでしょう。

目があったモンゴルの黒曜石とエッチドアメシストに助けられ、次第に意識をマインドから切り離して行きます。
この日の仕事が終わる頃にはやっと落ち着きが出てきました。

石、それも原石に触れることは、私にとってはやはり何よりも必要で大切なこと。
最近はワイヤー作品ばかり扱っていましたが、もっと自然な天然な形状と結晶のままの天然石。
これがやっぱり、どうしたって必要なのだと。

それは、鉱物たちの湛える悠久の時間によるものでしょう。
その波長が人間のマインド、感情の持つ周波数から私の意識を引き離し、宇宙時間へと戻してくれるのですね。
銀河の周波数、宇宙の周波数、そして地球の周波数へ。
そして魂の意識状態へと、引き戻してくれるのが石たちです。

暫くの時間を、こうしてクリスタルキングダムの中で過ごします。
マインドから意識を切り離し、鉱物へと寄せる。
そんな表現がぴったりな感じで、あぁこの表現を瞑想の誘導に使おう・・・なんて思いつつ。

そうするうちに、鉱物の世界から地球意識、太陽系グリッド、銀河意識へと繋がって行きます。
後で考えるとこれは春分ゲートが開いていたからだと思われるのですが、この時の私はそんなことには全く気づかないままに銀河の視点から太陽系グリッドを眺めていました。

そしてこの地球の碧く美しいこと!

充分に ”知って” いるはずのこの事実に改めて打ちのめされるくらいの感動と、この美しい星を護ることがいかに銀河にとって重要か、人間の在り方にそれがかかっているという認識を改めて覚えました。

泣けて泣けて仕方がなかった。

銀河は地球を、そして太陽系をとてもとても注視していて、この美しく碧い星が愛に満ちた光で溢れる未来を創造できるかどうかが銀河全体の進化すら左右するのだと。

私の内からの、ハートからの嗚咽は、この星を私の魂がどれだけ愛しているかを思い出させるもの。

ユニーバーサル・ケアテイカー

そんな言葉が響きます。


Universal Caretaker ・・・銀河の奉仕者。

銀河全体のためにこの地球と太陽系グリッドをケアし、恒常化させるべく励む者。

そんなイメージでしょうか。

どうやら私は、地球への愛と奉仕のための新たな概念を覚えたらしいです。
そしてこのケアテイカーに値する人を増やすこと、仲間を作ることにこれから励むのでしょう。

私は泣きながらそんなことを理解し、マゼンタの光で地球を包み込んでいました。
ハートから溢れるマゼンタの光。

これを春分に、志を共に出来る人と一緒に行いたい。

そう思いました。

アップ準備中のアクアマリン

ユニバーサル・ケアテイカーは、魂の意思が銀河のそれとぴたりと一致する者の奉仕です。
それは宿命やカルマ的な奉仕ではありません。地球のカルマを越え、太陽系のカルマを越えた魂が最終的に歓びと共に参加する銀河のプロジェクトのようなものです。

個人的にはすでに数名の方のお顔が浮かぶのですが、あくまでもその人の魂と表層の意思とが合致することが大切です。

銀河の奉仕者はその熱いハートと共に、地球への愛と共に、自我の損得勘定を一切越えた歓びの奉仕を共有します。

そんな仲間になってくれる人、いませんか?

今すぐには無理と思う方でも、この春分ゲートの開いている時間は是非地球へマゼンタの光と祈りを送って下さい。

アップ準備中のカイヤナイト

碧く美しい地球を前に私の魂が発した言葉は、” ごめんなさい ” でした。
人間が何とも永い年月、地球へ怒りや恨み、悲しみ、憎しみ、不信、野蛮な行為を行ってその重く苦しいエナジーを投射して来たことか。
それを思うと、もうごめんなさいしか出て来ませんでした。

だから、ケアテイカーのやるべきことは地球のこうした思い人間の波動への処置が一つ大切なお仕事で、つまりはあなた自身が目の前の人との関係性に愛を持つことから始まるのです。


自分の嫌な部分、見たくない部分を見せて来る一番近しい存在との関係をケアすること、延いては自分自身の内側と向き合いそれをケアすることから始まります。

だから、能力とかではないのです。
どれだけ自分と、そして自分の周りの人々と向き合うかがユニバーサル・ケアテイカーの必須条件です。地球へ、宇宙へ向けてその愛を放つことはそのままあなたの内なる銀河の暗黒へ向けて愛を放つことと全く同じことです。

そこから太陽系のグリッドケアへと入って行く様子ですが、この辺りは私もまだ理解が浅いのでこれからと言ったところ。

ブルートパーズのハートとベラクルスアメシストのコンビネーション

今日、そして明日、春分の日当日、その後の2日間と、春分ゲートが開いています。

私も銀河のエナジーよる光のラインを設置しておきますので、どうぞお心のある方はご自身のハートから地球へとマゼンタの愛の光を送って地球を包み込んで下さい。


そこからケアテイカーのお仕事が見えた方は是非お知らせ下さいね。


菫香


イースターの譫言

ちらほらと、袴姿のお嬢さんを見かけた今週。
卒業式シーズンなのですねぇ。
私は甥っ子姪っ子が多いので、今年は誰がどうなるんだっけー? とか思いを巡らしたり。

と言っても親ではない私は友人とのお花見やらランチやらの企画ばかりです(笑)
そして今年も、御苑の桜シーズンに合わせてサロンオープンデーを開催します。
サロンから見下ろす桜をご覧になりにいらして下さい。

ショップセールも連動します。対象商品が10%~50%オフになりますので、サロンで見たい方も是非どうぞ。

50%って気になりますよね(笑)こちらの対象は、原石・タンブルです。
私のこれからの方向性が変わりそうなので切り替えを思い切ってやろうと思っています。
別に石に興味がなくなったとか、好きじゃなくなったとかではありませんし、
またオッ!と思ったらクリスタル達も仕入れて来ちゃいそうですが。

ただ、切り替わり、節目なのはずっと感じていますし、多くの方がきっとそうなのだろうと思います。

御苑の桜が今年も楽しみです。

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さて、そして。

旅立ちの季節に、この世界を自ら旅立ってしまう子供の記事が目に入り、いたたまれない気持ちを感じています。

精神科医のS先生のブログでもいじめに関する記事が挙がっていますが、
子供の社会は大人の社会の縮図だと私は捉えています。
https://drangelica.hatenablog.com/

大人のいじめも陰湿ですよね。

2011年3月の震災が起きた時に私が在籍していた会社も、今思うとなかなかだったなぁと思ってみたり。
私が会社を辞めようと思ったきっかけは勿論この震災によるものが大きいのですが、それを後押しするかのように決定打となったのは上司からのいやがらせでした。

SEの部署で会社全体のシステムを管理運用する部署で、当時私にとっては史上最難関のシステム入れ替えというプロジェクトがありました。
これは計画から入れると3年ほどの歳月を要したとても重要なプロジェクトだったのですが、私の上司は計画が始まった途端に鬱で休職。
その後のプロジェクトの推進と案件が一気に降りかかって来て、つぶれそうになりながら耐え抜いたのでした。

おドイツ製の最新プログラムを導入することになったので、国産システムとの概念設計の違いに戸惑いながら皆で進めたプロジェクトで、私はかなり中枢を担った自負がありました。
あの頃、多分誰も知らなかった部分なども把握して全体を俯瞰してプログラムを動かせたのは私だけだったのです。

そうして新システムが運用開始してから復職した上司さんは、やはり新しいシステムを覚えることが出来なくてリハビリのように別部署へ。

だったのですが、その上司にその後私はとても嫌な目に遭わされました。

よほど私のことを恨んでいたんでしょう。
とても嫌なやり方で私のコンプレックスをグサリと突かれて、あぁ、この人はこんなにも私のことが嫌いだったのかと、醒めた思いを抱いたものです。

あんなに仕事肩代わりしたのにこれかよ?! と言うのがその時の本音でした。


記事がつまらないので明るい画像など(笑)昨日覗いた素敵なショップです。

私は子供の頃から嫌われることが多かったです。

同居していた祖母がインナーチャイルドむき出しの人で、曾祖父に今ならDVになるような体罰、折檻を受けて来たことはイヤというほど聞かされて来ましたが、長女の私を彼女は自分と同じように、と言うよりも私に自分の子供時代を見ていたのかも知れません。


幸いにも叩かれたり暴力を振るわれたことはありませんでしたが、かなりきつい性格の祖母で長女の私には辛く当たることが多かった。

幼稚園の時から通園の先のおうちの同世代の子供たちからの、いわれのない嫌がらせやイジメもありました。
子供らしい残酷さで何も悪くなくても、住んでる地域が違うというだけで仲間外れにされる。
意味が分からなかったし、あの野蛮な子たちと関わりたくなかった。

クラスメイトも陰湿でした。
一人の声が大きい子に従って誰もが同じ態度を取り、私はどうやら陰で無視することが決定していたらしかったです。

私は比較的、自我が成長するのが早かったんだと思います。
だからなのか、こういうことをされてもあまり気にしなかったし、寧ろ自分の意思がない子達の態度にあきれていました。

小さな田舎の小学校でしたから、中学校に進学すると他校のもっと声も態度も多きな子達に呑み込まれた彼女たちは小さく黙り、進学する知性もないのは分かっていたので高校も分かれて私は自由になりました。

だから、未だに実家へ帰省しても同級生と会うなんてこともありません。


ただ母たちのネットワークは未だに健在なので、誰が今どうしているかは耳に入ります。
今年のお正月の帰省で知った最新情報では、あの頃私をいじめていた子達は全員離婚していて、その中の中枢、リーダーだった子は旦那さんが自殺したそうでした。

勿論驚きましたが、何だかちょっと、あぁ・・・と、分ってしまうような気もして。
正直にシンプルに、やっぱり人をいじめるような人は碌な人生にならないんだなと思ったものです。

子供の頃のことなんて彼女たちはすっかり忘れているでしょうけど私は今でも忘れないし、
心の傷は一生消えることはないでしょう。
でも、それでもその傷を覆う愛はたくさんたくさん受け取ることが出来ています。

そして大切なのは、無邪気な邪気と、愛のない嫉妬や妬みがひきおこす子供っぽいいじめは
こちらには何の落ち度もないということ。

大人になってからのいじめはまたちょっと違って、もう相手の内の欠乏や、カラっぽの中身を覆い隠そうとする小さなプライドが透けて見えるのでかえって滑稽で憐れみを覚えます。

子供の頃の辛い経験は、著しく貴方の自尊心の育成を阻むものです。
自分の尊厳、魂のプライド。

それを健全に育てていくことと、健全な自我を育てていくことが子供時代には何よりも大切で。
子供がそれが出来ないということは恐らくその親御さんも、そうした成長過程を経験していません。

私達の祖父母は戦争体験の世代で、戦前の貧しい時代から価値観がどんどん変わって行く時代を生きてきていて、明治時代の厳格な躾に育てられたまま資本主義の時代が始まり、その中で子供をとにかく食べさせて行くだけで必死だった世代です。

その子供たち、つまり私達の親世代は戦後生まれですが、そんな生活に必死な親から愛情を受け取っている実感が希薄なところへお金と物質という概念が愛に取って代わってしまっていますし、自分が存在することへの自己肯定という概念も分からない場合が多いでしょう。

だから、私はいつも思うのですが、
親から、先祖から受け継がれた負のスパイラル、愛の枯渇、外へ、他者へ生命エナジーを求め、与えられないと自分の存在を全否定されたかのように傷つき、怒り、人や社会を恨んだり憎んだりして生きて行くようなスパイラルは、私達の世代が終わりにしなければなりません。

子供の私をいじめた同級生やまわりの子達、祖母、そして元上司。
彼らも皆、満たされないもの、渇望しても受け取れないもの、自己の存在の全肯定。
そんなことを求めていただけだったのだろうと思いますし、彼らの方が実は哀しみが強かったのでしょう。

見えない世界の存在達に助けられ、癒され、私もようやく愛を受け取り与えられるようになったかなと思います。



愛と自己肯定、自由と信頼は人が人として健全に生きるために不可欠で、
それを著しく損なってしまっている人がいかに多いか。
自らの自尊心を育てられずに来てしまった人がいかに多いか。

これらは日本社会の課題でしょう。

ヒーラーというお仕事をこれからも続けるのかどうなのかを考える時、
どんな形でも良いから、こうしたことを伝える必要はやっぱりまだまだあるのだなと思ってみたり。
それは私一人の宿命やカルマが終わったからと言って、解放されたからと言って、じゃあ私はもう好きに生きていいんだとはならない部分があるのでしょう。

それが、世代として受け継がれた宿命です。
この国の、この時代に生まれた魂の意思と意図があるのでしょう。

でもきっとそれも、個人が愛と自由と尊厳に基づく人生を歩み始めれば自ずと解消されるものかも知れません。

そうなったらきっと、いじめもなくなりますよね。

世代として取り組む宿命があるのだと、自覚する昨今です。



桜の季節を待ちわびて。

菫香





9年目のはじまり

一晩明けて、311という時間の8年目を過ぎました。

昨日は、いつも通りの普通の日。
とある人とある人を繋ぐ、と言うか、この方のご相談に乗って下さる方はこの方だろうという
お引き合わせをサロンで行った日でした。

専門の知識と経験、スキルをお持ちの方へ託せたことで私も一安心でした。
誰にも相談できずお一人で抱えて、さぞお辛かったことでしょう。

そう、私じゃなくても良いのです。
もっと適任な方がいる場合もたくさんある。
そんな橋渡しが出来るだけでも誰かのお役に立てているワケで。

特に大々的に祈りや瞑想やイベントをと言う考えは毛頭なかった8年目の311は、
目の前の一人の人と向き合うという、いつも通りの時間。

私の今の在り方は8年前の昨日からスタートしているので、もう特にこの日だけ特別に思いを馳せるとか、祈りをとかあまり思っていない自分がいます。
既に私の毎日は、あの日と共にあるのですから。

忘れない・・・とか言う問題でもない。

” 忘れない ” と思うということは、忘れることがあるということ。もうそんなでもない。

いつも思っています。

あの日に失われた命は、やりたかったこと、夢、これからの自分にたくさんの希望を持っていたことだろう。そんなたくさんの命を思うと、自分が自分のやれること、やりたいことを全うせずに生きるワケにはいかない。

せめて私は、私くらいは、自分の生き方を。
あの人たちができなった、道半ばで命を絶たれた人の分も・・・じゃないけれど、
自分の生を全うする義務があるんじゃないかと。

これをずっとあの日からの座右の銘くらいに思っていて、それはこれからも変わらないでしょう。

その思いは変わらずとも、やれること、出来ること、やることは形を変えていて。


東日本大震災の3か月後に会社を辞めて自分の魂の仕事をやりたい、
やろうと人生の舵を切った当初は、それでもやっぱり私は私でいることがまだまだ出来ずに、
何者かになろうとしていたのだろうと思います。

ヒーラーというお仕事の、ヒーラーという肩書の自分。みたいな。
自負、自覚、そこから芽生えるプライドと自意識で自分を支えていたのでしょうね。

だからなのか、311が巡ってくる度に、何かしなくちゃ、とか、素晴らしいイベントや会を主催出来ている自分でいたかったし、ヒーラーとして何か貢献している、活動している自分みたいなものが欲しかったし、そう出来ている人を見ると焦ったり、うらやましかったりして。

何かしなくちゃ、何かしていなくちゃ。

そんな思いでしたね。

偽善だったなぁと思います。


何かをしている自分でいることで自分の力不足や実力不足、ちっぽけさ、自信のなさを認識することから逃げていたのでしょう。

何者かでない自分でいられない時は、そういうスパイラルが発生します。

そして、何かをしている、何者かである自分でいることで自己承認欲求的なものを満たそうとする。
311にイベントをしようとか、瞑想会をしようとか言う背後にそんな思いが潜むのですね。
そしてやっている自分に満足して、参加している自分に満足するという場が生まれる。

そういうのは、もう辞めようと思いました。
私がプロデュースする場が、そんな自己欺瞞で埋まってしまうのは嫌だと。

何者かであることを脱ぎ捨てることは、この日本という国の社会においてはとても難しいものがあります。
この着ぐるみの下にある真の自己が未熟だったり幼稚だったり、ひ弱なままだったりすると猶更です。
しかし私達はそろそろ、この分厚い着ぐるみを脱ぎ捨てて本来の自己をちゃんと成長させてあげる必要に迫られていると思うのです。
未成熟な子供っぽい自己を、成熟した人間へと育てる必要があります。

それが延いては社会の成熟へと繋がるでしょう。
長い時間がかかりますし、世代レベルの変遷を伴う作業だろうと思います。
今の私達世代はその過渡期、変遷期を過ごしています。

・・・とても難しい課題ですよね。

自分が何者かであろうとする時、パターンは、それぞれに子供時代から形成されたペルソナによるものが大きいと思います。
女性の場合は特に母親からの言葉にならない意思のエネルギーでそれらを形成するのだろうと思われますし、それ以外にも父親だったり祖父母だったり、家庭環境に寄るものは大きいですね。

それらをもっと紐解くと家系に連なる因縁やカルマというものになって来るのですが・・・。

それに甘んじたままの人生を送るか、そこから負の連鎖やカルマを断ち切る生き方を取るかも自分次第。

自らを縛る想念、思想、考え方の外にもっと広くて多様な世界があり、自分の意思でそれを自由に選択できるのだと気が付いた時に人は因縁から解き放たれ、ようやくそこから自身の生命エネルギーを使うことを知りますし、そのエネルギーは内から湧き出るものだと分かるのでしょう。

そうなったらもう他者から生命エネルギーを奪うやり方で生きる必要がなくなります。

不毛な消耗がなくなります。

そして生命エネルギーとは愛そのものです。

自らの愛のエネルギー、生命エネルギーで自らを生きる。
文字にする当たり前のことが出来ていないのがこの社会です。

話がどんどん逸れて行きますが(笑)、私は昨今のスピリチュアルでよくある
プロテクトだとか浄化、保護、もっと言えば祓いなどというものも、そろそろ古い概念なのではないかと思っています。

他人に自己のエネルギーを奪われるからプロテクトしましょうとか、おかしいんです。
そういう概念と想念のやりとりの世界に自分を置いている、自己と他者を切り分けている、
分離しているからこその発想だなと思うようになりました。

想念の渦の中に自分自身を置いているとそうなります。
想念とはマインドが生み出すもので、マインドは分離です。

だから、とにもかくにも、自己の分離から統合へを言い続けている昨今なのです。
ここを越えると本当のひきよせや自己実現が始まりますし、魂の使命を生きる時間が始まります。

私もまだまだ、道半ばですけどね。

どうぞ、自分を大切に。自分を愛して下さい。

愛していると、声に出して自分に言ってみて下さい。

その波動、バイブレーションに満たされて下さい。

そして自分の思いや感じていることを、思いっきり感じ切って下さい。
会社や外の社会では自分の意思を通すことが難しい場合ってたくさんありますが、
そんな時でも、思いだけはちゃんと受け止めて。
実現出来なくても存在する思いをなかったことにするのはやめましょう。


それはあなたが価値がないからでも愛されないからでもありません。
たまたま状況がそれを許さなかっただけなのです。

自我意識が子供のままだと、それが自分を否定された、拒絶されたと勘違いしてしまうのですが、
そうじゃないと。


たとえあなたがあなたらしさを実現できていなかったとしても、あなたは愛されている。
どうかそう自分に言ってあげて下さい。
統合が進めばそのうちに、そんなあなたの望まない結果を引き起こす現実は消えて行きます。

と、話が逸れまくりましたが全て繋がっているのをお分かりいただければと思います。

9年目の時間のはじまりに

菫香


銀河意識時代の到来へ向けて その2

おはようございます。
昨夜の雨から一転して新月明けの晴れ空は冷たい空気ながらに清々しいですね。

寒い朝はキャンドルを焚きます。

お花の下に映っているのは、あーすじぷしーさんから届いた前兆カード。
https://www.seedszencho.com/

届くこともすっかり忘れたいた頃にこれからの前兆を報せるカードとして届いたのですが、
こういうのって本当にタイミングがドンピシャリですね。
今年になってからの私の変化の仕上がりがここに到達したと思える内容でした。

私のカードは、「禧い(さいわい)」
” 達成や成果のためにするべきことは何もないのです。すごろくを進める人生は繰り返しの永遠。
今を喜ぶために生きる人生は、今という煌めきの永遠。
人生とは達成が目的ではなく、人生そのものが目的なのです。”

だそうです。

ここにはもう、進化成長だのイニシエーションだのと言った目的や達成が何もない。
ただただ、ここにあることを喜び慈しみ味わうと言うものです。

そしてもう一つ時を同じくして、確定申告の決算書作成のために古い資料を取り出したら、
3年前に受けたあるエナジーワーカーさんのセッションメモが出てきて、ようやくその内容が腑に落ちて心の底から納得しました。
これはきっと、ここにいらっしゃって下さる多くの方にも響く内容だと思うのでシェアすると、


” 過去の宗教的囚われの部分、修道女的な生き方の部分、
どこかでまじめに生きなければならない、神は万能だという考えを緩めること。”

” 我をどれだけ愛せるか、我をどれだけ癒せるか、向こう側にあるのは統合=神。
いいものも、悪いものも愛しつくせることが我の神。
全知全能の神になる必要はない。地上で個性の花を開かせること。

” 憂いと罪悪感がある。
乖離の世界からバランス、アンカリング、善と悪の乖離を一つのテーブルに戻すこと。
自分から乖離したら善も悪も同じ。”

” 教会にいた女性、シスターのような姿。清廉なものを強く表に出そうとしてしまうパターンを持っている。
本来の自分になってこの地上で立つ。 個性があるからいい。自分から乖離してはならない。”

” クライアントを癒すことで自分を統合して行く。迷い、苦しみ、過去世の成就、善良な自分、
満たされなかったもの、それらを取り払って自由になっちゃうこと。
ハートを温めることと乖離からの離脱、自分が満たされる方法、やっていて楽しい方法で突き抜けること ”

などなど。
何とまぁ、今になってようやく全てが納得する内容でしたこと!

これらを聞いた時にも、うんうん、とは思っていたんです。
でもそれだけでは私は神智学的な縛りと言うか、イニシエーションの概念、いわゆる秘教的な教えから抜け出すには至りませんでした。
このワーカーさんが神智学をご存じない方だったからこういうことが言えるのだろうくらいに思えてしまったのですね。

それがようやく今になって、自分がエネルギー的なシフトを果たしたからこそ出会えた情報があって、私の場合はそれがネルダ・インタビューを始めとするウイングメーカー関連の書籍だったのですが、自分が解放されて良いんだということがようやく腑に落ちたのでした。

つくづく過去からの魂のパターン、クセは頑固ですよね。
私はそれを宿命と呼ぶのだろうと思います。そして宿命を使命、天命だと思って勤しむ場合が多いのでしょう。


私はようやくその縛りから自分を解放するに至り、同様のセッションを展開することになりました。
アルクトゥルス・パッセージがそのワークになるのですが、これを受けて下さる方の変化というかセッションでの展開は本当に今までにないものになっています。

魂が持ち越して来たクセ、パターン、宿命を放棄する、卒業する、カルマ的輪廻の因縁を開放する、などの姿を見せてもらっていて、中には使命だと思って地球へ持ち込んだ想念をワンネスへとお返しする人もいらっしゃいました。

本当に驚きます。そんなことが出来る時代になったのかと。
でもこうして、地球が本当に喜びの星になって行くと良いなと思います。

そしてもう一つ、おうし座天王星時代に入るにあたって私がとても大切だと思うこと。
それが、もう前述していますが自己との乖離を統合して行くことです。

乖離、分離したままのセルフとは、過去世であったり、今の自分であったり。
それらを私達は、現実の環境の中で他者に投影して見ています。
それが私達のリアリティになっているのですね。

だから、あなたは私 なのです。

目の前にいる人を自らがどう見ているか。自分の目に映る他者とは自身の投影です。


そこに私達は自らを見出して、癒されていないのであれば、乖離したままなのであれば、
抱きしめ自らに統合して行くこと。

おひつじ座天王星時代に見つけた’私’を、現実に根付かせるために先ず必要なのはこの統合だと思います。
このプロセスを抜いて具現化だけを目指しても、分離した現実が生まれるだけでしょう。

3年前に私が聞いた、” 我をどれだけ愛せるか ” に、誰もが取り組む時代になっているのだと思います。

前兆カードに前祝いしてもらいましたので、私もそこをとことん具現化させて行きましょう。

銀河意識へ自己を開いて行くパスは、我をどれだけ愛せるかにあり、それは即ち、我をどれだけ統合出来るかにあるのだと思います。


今の私が綴る内容が響く方、響かない方、それぞれだとは思いますが、
もし響く方がいらっしゃいましたら是非一緒に歩んで行きましょうね。

菫香