パリ、ノートルダム大聖堂。
驚愕の火災事故の報を目にした時には信じられず、言葉がありませんでした。
800年余の時代をパリの中心として、パリのハートとしてそこにあった大聖堂。
幸いにして屋根部分のみの焼失の様子で、多くの文化財、そしてあの薔薇のステンドグラスは無事のようですね。
修復作業のために多くの彫像やガーゴイル達も外されていたし、4年前には正確な建築データもデジタル化済みだったと言うのですから、もう凄いタイミングで燃えたのだなぁと思ってしまいました。
しかし哀しみと喪失感は凄いものがあります。
私がここを訪れたのは2011年の秋でした。
母と巡ったフランス旅行の最後がここで、モン・サンミッシェルからルーアンのジャンヌ・ダルクの聖堂、ロアール河の古城群、ヴェルサイユ宮殿、旧ロスチャイルド家所有だった古城ホテルなどを巡った最後がパリ市内フリー観光で。
早朝の我らが貴婦人は白く輝いて本当に本当に美しかった。
日曜日の朝だったので他に行くところもなくて、実はこの時はあまり興味もなかったのですが、
パリの中心の大聖堂、ここは行っておかないとというだけで母と一緒に中へ入りました。
ミサが始まる直前だということすら分ってなかったのですから今から思うと呆れますね。
たくさんの人が着席する脇を私達観光客は奥へと進んで行きました。
その途中でパイプオルガンが響き始めて、大聖堂全体が震えるような、身体中の細胞にビリビリと響きが伝わってくるような、荘厳な音色に心を奪われたことを覚えています。
こんな場所でこのタイミングで、ミサに参加することになった私と母。
フランスの旅の最後がこれでした。
凄かったです。
何を言っているのかなんて全く分からなかったのに、魂が震えるとはこのことで嗚咽の涙が止まりませんでした。
今思うと私の贖罪に対するマリア様の慈愛だったのだろうと思います。
泣きはらした私がふと後ろを振り返るとそこにはジャンヌ・ダルク像が。
この時は心底ビビりました。
パリ・シテ島はパリの始まりの地。
その地下には今でもカタコンベと言うローマ時代からの集団墓地もあります。
この母とのフランス旅行は、古い古い魂の記憶を癒す私の旅の始まりでもありました。
帰国後2日目の夜にサードアイが開いたのも何度も書いていますが、ノートルダムでの出来事がこの旅路の最後の仕上げになっていたのは間違いありませんでした。
私の魂の旅路のスタート地点。
それが燃えてしまった。
衝撃の中で、見えていたヴィジョンがありました。
焼け焦げた黒い土から、黄金のマリア様が復活するというもの。
私の哀しみ、集合意識の嘆きはとても大きく悲しいものなのですが、見えて来るものは喜ばしいもので、もしかしたらこれはカトリックの権威や宗教の枠組みに閉じ込められ歪んでしまったマリア意識が本来の姿を顕すための事象だったのではないかと思えました。
とは言え私も含め、集合意識の嘆きと哀しみの深さは相当なものがあります。
人間の意識が新たな領域へ踏み入れるには、そんな過去からの哀しみを乗り越えて行く痛みを伴うものなのでしょうか。
涙にくれながら瞑想に入ると、焼けたノートルダムの上にマリア様が顕れました。
泣かないでいい。
私はあなたの中にいる。
そう告げられてまた泣いてしまったんですけどね・・・。
私が視ていたマリア様は、マグダラのマリアであり聖母マリアであり、イシスであり、イナンナであり、観音であり、瀬織津姫であり、ガイアの神聖そのものです。
つまり、宗教が覆い隠したガイアの母性そのものがこれからの時代に復活することの「兆し」を
私達は目にしているのだろうと思われました。
再建の動きが始まる中、人々の意識はきっと新たなものへとゆっくり遷移するでしょう。
外にある神や権威の前に跪き、許しを請い、自らをひ弱なか弱い存在として行く宗教は終わって行くことでしょう。
そして誰もが、自らの内にある神聖に目覚め、自らのキリスト意識、マリア意識に目覚めて行くのでしょう。
まだまだ哀しみは消えませんが、この喪失感を乗り越えて新たな時代へ向かえますよう。
そして私は本当にパリを愛しているのだなぁと改めて感じています。
パリの街とはマリア様そのものですからね。
理由も分からずとにかく魂が魅かれて、好きで好きで、訪れる毎に大きな変化が起こる場所。
そんな土地が人それぞれにあると思うのですが、私にとってはそれがパリです。
また近いうちに行きたい、会いたいなと思います。
菫香