少し間が空いてしまいました。
春の始まりのアップダウンなのでしょうか、なかなか難しい時間を過ごした気がします。
こうして何か書こうという気力も湧かずに忙しなく過ごしていましたが、昨日、おとといと完全にお仕事を離れて、久しぶりにヨガにも行けてスッキリしました。
気持ち的な面もですが、やはり現実的な部分も。
今回は夫との向き合い方を改めて見直した感じです。
家族や身近な人との関係性は、ダイレクトに自分の状況に反映しますね。
レイキなどのワークやセッションを受ければ解決するというものでもなくて、やっぱりちゃんと向き合うことが大切で。
特に夫婦なんて他人同士、しかも男女という全く相反する性質同士が一つの家で生活するのですから、自分が感じていること、思っていることを真っすぐ正直に伝え合うことの大切さと、相手の自由意志をどれだけ尊重するか、その人の育ってきた環境や背負っているバックボーンをまるごと受け入れる度量、いろんなことを試されます。
でもこれが人として他者と向き合うことの第一歩なのかなぁとも思ったり。
内側の在り方がそのまま関係性に顕れる一番分かり易いものですね。
私はこうして見えない世界、意識の世界とエネルギーを扱うお仕事をしていますが、
それが現実的に必要な対処や、自分や他者と向き合うことを避ける ”隠れ蓑” になるようなことはしたくないと思っています。
何でもエネルギーで解決できるというほど現実は甘くないし、そもそも物質界と意識の世界は表裏一体というか、一つの現実のそれぞれの側面でしかありません。
人として向き合うべきこと、伝えるべきことを言葉や行動で顕す必要は当然あると思います。
勿論そういった行動が出来ないほどに疲れ果ててしまっていたり、傷ついてしまった魂は癒されて回復に向かう時期を過ごす必要があるでしょう。
羽を休める時間も必要でしょう。
そんなときはしっかり休んで自分を労わって癒してあげれば良いと思います。
そしてまた、フィールドに出て行ければ良いですね。
インスタに揚げていますが最近モダンカリグラフィーを習い始めました。
美しい書体を練習するのは楽しい時間です。
ワイヤーアートを始めたばかりの頃のように、これから徐々に自分のものにして行ければ、そして自分の表現にして行けたらいいなと思っています。
こうして何かを創る、生み出す作業をしていて常に感じるのが、現実化、具現化するという作業そのものに人間は途方もない時間と労力を捧げて来ているのだということです。
いつだったかミラノの大聖堂を特集するテレビ番組を見ていたら、美しく荘厳な大聖堂を人々が300年かけて築いたというナレーションがありました。
今も修復や維持管理は続いていますし、サグラダファミリアのように今なお建設中のものだってありますが、私はそこで人が物質界に何かを具現化するためにかかった時間というものに思いを馳せました。
エネルギーや意識は確かにあるし、その世界から生み出されるインスピレーション、啓示が物質界を創造する源であるのは確か。
しかし、地球環境、自然環境とは違って人間は自らの創造性をずっとずっと、これから先も発達させ続けて行くのでしょう。
マザーガイアのような完璧な創造は、まだ人間には出来ませんからね。
ガイアの創造性は完全性ですが、人間の創造性は発展途上なのだろうと思います。
モノにする、形にすることの難しさ、イメージのように形に顕すことの出来ないもどかしさと格闘し、試行錯誤し、自分の出来る限りの中でより良いものを生み出して行く。
ワイヤーワークを始めてかれこれもう7年ほどになります。
製作が途切れて間が空くと手が鈍るのも良く分かりますし、継続して行くことで鍛錬されて行くのはどんな創造も同じでしょう。
カリグラフィーもこれから数年スパンで取り掛かるべきものだと思います。
物質界で何かをカタチにするには時間がかかります。
当たり前ですがエネルギーの世界とは違うので、モノにする、カタチにするという作業には自分の技術鍛錬と精神修養が必要で。
また、目に見えるカタチで表現することによって他の人の目に触れ、批判や批評に晒されます。
それを怖れる自分をまた俯瞰して観たり。
と、現象化することそのものに付随する感情や思考のプロセスを目下経験中です。
最初にエネルギーありきなのは当然のこととして、それをどうやって現象界で物質化、顕現させるか、そこには技術鍛錬と試行錯誤、知識と技術の学びや発見と言った人としてのプロセスがあって、人間としての顕現が行うべき大切なことはそこなんじゃないかと思う次第。
他者との関係性、そして自分が何かを生み出す作業。
いずれも試行錯誤して、もがき足掻きながら答えを見つけていくプロセスそのもの、経験そのものが自分の価値となり宝となりますし、ヒール(癒し)がその中で起きて行くことだって往々にしてあります。
いずれもこの人間というボディを纏って物質界に生きる私達がやって行くべきことですので、
スピリチュアリティやエネルギーワークがそこを履き違えることがありませんよう。
そして最後に今日は、今あちこちで話題になってはいますが、昨日の東大入学式で上野千鶴子さんが述べられた祝辞が素晴らしかったのでご紹介したいと思います。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
私が一番感銘を受けた部分を一部抜粋します。
「 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」
是非全文をご覧になって下さい。
国内最高学府でこのようなお話がされたことが嬉しいです。
東大が変わったら日本が変わりますね。
スティーブ・ジョブズ氏の銘スピーチのように語り継がれて欲しいです。
私のやっていること、生み出しているモノも、そんな世界の一助になれますよう。
祈りと共に。
菫香