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羊の目隠し

立秋が過ぎた途端に風が変わりましたね。
これからお盆を越えて、また新しいフェーズへと時代も時間も人類も突入して行く感があります。
今年のお盆は8月15日が満月になる本当のお盆ですので、大きな折り返し地点のような気もします。

私個人も8月上旬は夏休みモード。
お盆明けから初動するようなタイミングだと思っているので、午前中はヨガのクラスに出て午後はお仕事や荷解きに充てるようなリズムで過ごしています。

ようやく家も落ち着いて来て、石たちの配置も決まり創作用のスペースも出来ました。

クリスタル講座の最終回補講という形で、新しいセッションスペースも初稼働。
インスタで触れましたが、初回の緊張感と時間を気にする私の右肩に触れる手があり、” 大丈夫、慌てるな。” とマスター・エルモリヤが顕れておりました。

瞑想中だったお客様も、途中から熱くなって・・・と仰っていて。
御苑サロンをオープンする際もサポートして下さっていることを感じた存在だったのですが、場が変わっても同じ存在を感じられるのだなと。

私は密かに、エルモリヤは諏訪と関連がある気がしています。
モリヤってだけですけど(笑)
あ、あとは諏訪湖のブルーがエルモリヤブルーだなぁといつも思うのです。
アルクトゥルス・ブルーでもあります。

そろそろまた諏訪へ赴く頃でしょうか。。。

さてさて。

今日タイトルに挙げたのは、分かる人には分かりますかね。
昨日、ようやく時間が取れたので映画「新聞記者」を観て来ました。

話題も内容も、多くの人がシェアしている通り政府の闇を暴こうとする女性新聞記者と言う構図で、昨今の実際に起こっている出来事、事件をそのままなぞっているので大きな反響を呼んでいる映画ですね。

官邸が大激怒だとか、メディアでは一切触れようとしないとか色々と言われています。
本当は参院選前に行きたかったのですが、何せ7月は私も超多忙でしたのでこの時期になってしまいました。
それでもほぼ満席。 
夏休みの週末だったのもあるかもですが、凄いことだと思います。

内容をどうこう書く気はありませんが、始終私は問いかけられている気がしました。
あなただったらどうするか。
私だったらどうする? と。

そして、目を真っ黒に塗りつぶした羊のイラスト。

これが謎を解くカギになるのですが、私には途中から、この羊とは日本国民そのものの姿なんじゃないかと思えて来ました。

羊という寓意。

聖書でも引用されますが、羊の従順で他者の動きに何も考えずに追従する姿が日本人そのものだなと。
加えてその目は見えていないのですから、自分たちがどこへ向かって一斉に動いているのか誰も気が付かない。

気づいている・知っているのは誘導する側だけで、羊に目を与える必要はないと彼らは思っている。

そんな危うい今の日本人そのものの寓意だと感じました。

昔、会社員だった頃に女性向けの起業塾に通っていた時期がありました。
その頃の私は自分が起業するだなんてこれっぽっちも思っていなかったんですけど、会社員の女性でも経営や経済、金融、世の中の流れを読み解く力を身に着けることが大切と仰るメンター的先生のお話に深く納得して受講することにしたのでした。

その方がいつもこう仰っていました。
経済、金融、経営の知識を全く教えてもらえていない私達はまるで目隠しをされたままリングに上がったK-1選手のようなもの。
どう戦うのか、相手がどこにいて何をしたら良いのかまるで分からないままリングに上がったってボコボコにされるに決まっている。
その目隠しを外すために必要なのが経済を学びリテラシーを身に着け、マチュアな成熟した社会人となることだと。

だから、今回の映画で目隠しされた羊にピンと来たのです。

あの頃学んでいた経済や世界の動向から今はより一層スピードも技術革新も何もかもが進んでいて、なのに方や日本の状況はより一層閉そく感と、自由や人権の尊寿がないがしろにされる方向に動いていて、情報統制と印象操作だらけのネット社会でリアルな実体験がないまま流されて行く羊はその行き着く先を知りません。

私は自分の目は塞がれたくないし、自分の足で行きたい方向を自分で決めて歩きたい。

そんな当たり前に享受できるはずの権利が徐々に蝕まれていることに、目隠しされた羊は気が付かないのです。

羊の目隠しを外す方法はただ一つ。
自分で考えること。そして、考えるために必要な情報を自分で集めること。

情報とは、ただ集めただけのランダムな項目の山は information ですが、
そこから知力を駆使してこれからの方向性を考えた末に浮かび上がる戦略的情報が lntelligence 、情報を活用する知性です。

そうして自分の知らない世界や、見て見ぬふりだけで素通りして来たフィールドに光明を刺して行くことです。

並行して今読んでいる本が、松村潔さんの ” 宇宙魂に目覚め自分の魂の星を旅する” なのですが、ここにはこんな記述があります。

【 経験が満たされた時、人は太陽系から追い出される 】

「ひとつの惑星にたとえられる経験が不足していると、それが重さ、負荷のようなものになってその人の存在は重くなる。
人は知らないものに引き寄せられるのだ。そして太陽系から向けだすことができないという事態になる。
経験が満たされ、必要な項目をすべて自分の意識(光)で埋めてしまう、つまり既知になると、その環境にひきつけられる要素がほとんどなくなり、この太陽系から出て行くということになるだろう。
むしろ出て行くと言うよりは、追い出されるということになる。
太陽系が嫌がって、その人を弾き飛ばしてしまうのだ。」

だそうです。
この世界を既知(既に知っている、分かる)ものにすることこそが、 まだ見ぬ暗闇の世界を明るく照らすこと。

ここに深く納得してしまいました。

これってやっぱりこの地上での経験の究極的な部分じゃないかと思います。
そのためには目隠しされた羊でいるのは私は好ましくないと思いますし、自ら見たくないとセルフ目隠しをしている場合もありますから、そこに光明を刺すという仕草はやはり自分で行わなければなりません。

もうここまで書くと、私が言っていることは現実世界も見えない世界も同じことだとお分かりいただけるかと思います。

加えて言うと、太陽系を追い出されるとはそのまま輪廻を抜けるということでしょう。
つまり輪廻転生から抜け出すためには、すべての経験を終えて既知のものにすること、あらゆる側面に光明を刺すことなのですね。
ですからやはり、見て見ぬふりをして蓋をしたおく部分があっては輪廻は終わらないということになります。

折しもこの時期はは毎年、戦争という人類最悪の経験を顧みる時間です。
私はようやく自分の精神がこの人類最悪の出来事と、日本人の闇という側面に真っ向から向き合うだけに成長した気がしています。

それを大人になったと言うのでしょう。

本当に、ようやく・・・です。

なので、もう少しだけ、この日本人の闇というものについて書いてみたいと思っています。

見たくない、触れたくない、なかったものにしたいという心の幼稚さ、精神の幼さから、既知のものにして行く勇気というか、光明を刺す試みですね。

その辺りはまた次回。

橙香