連休間際、いかがお過ごしでしょうか。
私は変わらずです(笑)
少し間が空いてしまいましたね。
最近は夜遅くにカリグラフィーの練習をしていることもあって、つい文章を書き起こすことが後回しになってしまいがちです。
ワイヤーの製作や提供するコトモノの企画、そしてカリグラフィーなどにクリエイティブな要素を向けていると文章を起こすところまで至らないのでしょうね。
そんな感じでしたが何か今日は ”書きたい” と言う思いと時間が出来たのでこうして綴っています。
今朝の気づきは、ノートルダムの火事に起因するものでした。
まだそんなこと言ってるの? と言われてしまいそうですが・・・
あれから暫く私は不安定でしたし、今までにない感情や出来事、体調不良などが起こっていて、
何も意識していなかったのですがどうやらあの火事を軸に視ると全て一本に繋がるのだなと気が付きました。
この間、アクアプレーズには随分と助けられました。
素晴らしいハートへのエナジー提供をしてくれる石ですね。
改めて、石の働きに驚かされる展開もありました。
石を扱い精神の世界と意識を扱い、セッションや物販を提供すると言うことは即ち個人の潜在意識への働きかけそのものを仕事としているワケなのですが、
それが不本意な方や、ここが ”そういう場 ” だと言う理解を持たないままにいらっしゃる方も時にはいらっしゃって、そういうものだと思って石と向き合えば乗り越えられる事象でも、そんなハズじゃなかった場合、顕在意識がそれを回避しようとする場合はやはり事件として(笑)、happen 、happening が起こるのですね。
こちらはそう思って眺めているので、え? それはちょっとないんじゃない? と一瞬腹が立つことがあっても、石の意識に寄せて俯瞰して眺めてみると、あぁこれは石が引き起こす変化を拒否していらっしゃるのだろうと思えるワケであります。
クリスタルたち、鉱物たちの時間と結晶が形成される時間を思えば、私達の意識の一番深い部分、潜在意識の領域とシンクロして行くと考えるのが自然ですし、そのレベルからの変容とは即ち、自らの本来あるべき姿、生き方、健全性を取り戻すための揺さぶりとして、事象として起こってくる場合があるのですね。
それを怖れて拒むことで当事者のハズの本人の意識は被害者になります。
自分の問題なのに、これは人のせい、自分は被害を被る側 と、問題の意識をすり替えるのですね。
私達からして見たらそれもその人の生き方なのですが、石はやっぱり容赦ないので(笑)
だからなのでしょう、石と向き合う人、石を愛する人はやっぱり生き方が素直だなぁと思います。
そうでないと石からの働きかけに耐えられないのでしょうし、石の愛を受け取ることを難しくしてしまいますね。
そしてやはり素直なエナジーというものは気持ちが良いです。
生き方を拗らせてしまうとこの辺りがなかなか難しくなってしまいます。
自分と向き合うことはやっぱり精神の成長、人間としての進化と成長の初歩、基本だなぁと思いますが、それを難しくしている要因とは一体何なのか?
多くは家庭環境、そして両親からの愛情というエナジーの不健全性でしょう。
勿論どんな親だって完璧ではないし、どんな家庭にもそれぞれの特性、問題はあるのですけどね。
感情のレベルで満たされなかったものを大人になって駄々をこねていても仕方がありませんし、
幼稚な自己、未成熟なセルフのケアは理性という大人の精神が自ら引き受けるものではないかと思います。
そうやって自らの内面は統合されて行くのでしょうね。
その過程において、現在の生だけでは到底ケアしきれない部分、魂の記憶としか言いようのない領域、過去の世において培った経験の負の側面など、現在を生きる足かせになっているような領域のケアを引き受けるのが私達のようなワーカーであり、クリスタル達であります。
だからきっと、” こういう場 ” にご縁があったということは、(私のサロンに限らず)本人の顕在意識では全く未知覚でも、潜在意識は変わりたい、魂の本質へ回帰したいという思いがおありなのだろうと思いますし、ハイアーセルフ、高次元の自己の意識がそのように仕向けているとも考えられます。
親の心子知らずとはよく言ったものですが、そうやって私達は魂と意識を統合して行く道のりを歩みます。
私の今朝の気づき、ノートルダムに起因する過去の記憶もその一環に値しますが、別のお話になってしまうのでまた次回にしますね。
ではでは。
菫香