仏性とサンクチュアリ

こんなに間が空いたことも無かったかもと言うくらい、まとまった文章を書くことが減りました。
昨今はSNSや様々なツールがあるからでしょうね。
それらに加えて、あちこちで書き散らかしていますが2月はまぁ多忙でした・・・
確定申告シーズンにあれやこれやが重なった。

で、今朝ようやく落ち着いて久しぶりにしっかりとした瞑想が出来ました。
心と魂と身体の調律の様な時間でした。

外界で起きている事象、昨今の世界の動き。
それらに何か言うことも、振り回されることもなく、私達の魂はいつでも変わらぬ輝きを放っている。
そんなことを確認する時間って、やはり必要ですね。

石たちと触れ合う生活をしていると、どこか深い部分でそんな普遍性にいつも触れている感覚があります。
私はクリスタルって、魂の永続性、永遠性に寄り添ってくれるこの地上で唯一の物質だと思っています。

マインドの意識はとても短く忙しいスパンで私達を駆り立て、急き立てる。
マインドは存在するためにそうしなければならなくて、意識の立ち上がりをいつもいつも迫って来るけれど、
その奥でひっそりと、しかし確実に魂はその輝きを放っている。

忙しない日々を送ることを余儀なくされている私達。
それはある意味、自分の本質、本来の在り方を忘れさせられていることであり、そう仕向けられているのだと認識するべきでしょう。
だから意識的に自分自身に向き合って、深く入り込みその本質に触れることを忘れてはならないのですね。

昨年の春からスタートした英書読書会の課題図書、ダライ・ラマの猫に出て来た一節を思い出します。
この物語は、インドのダラムサラのスラム街で瀕死の状態だった子猫がダライ・ラマに助けられて、その目線を通してダライ・ラマと世界各地からのゲストとのやり取りや、弟子達、スタッフたち、町の人々との交流を描く作品。

その冒頭で、猫がダライ・ラマに出会った時のことがこう書かれていました。

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How do I describe the first moment of being in the presence of His Holiness?

 ダライ・ラマの存在を感じたこの瞬間のことを、どう言葉にしたら良いのだろう?


It is as much a feeling as a thought – a deeply heart-warming and profound understanding that all is well.

 マインドを越えた温かな思い、全て由と言う深くあたたかな理解

You become aware that your own true nature is one of boundless love and compassion.
It has been there all along, but the Dalai Lama sees it and reflects it back to you.

 まるで自分の本性とは限りのない愛と慈悲なのだと初めて知った時の様な感覚。
 それはずっと自分の中にあったものなのに、ダライ・ラマはそれを見出し、私達の前に映し出して下さる。

He perceives your Buddha nature, and this extraordinary revelation often moves people to tears.

 ダライ・ラマは人の中の “仏性”をご覧になる。その時素晴らしい啓示に感動のあまり泣き出してしまう人たちもいる。

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初めて読んだ時には、この最後にある ”Buddha nature” をどう捉えて良いものか、何となくのニュアンスでしか分からりませんでしたが、日本語版を併せて確認してみると「仏性」 と訳されていました。

”your own true nature is one of boundless love and compassion.”

この本では私達の魂の本質のことをこう言っていて、その永続性、普遍性のことは、

”It has been there all along. ” と言っています。

そしてダライ・ラマは、そんな私たちの魂の本質と普遍性を思い出させてくれる存在であると。

”魂の本質と普遍性を思い出さてくれる存在”

あぁ、もう、ここに尽きますね。
私自身もそうありたい、そんな仕事が出来る者でありたいと思わざるを得ません。
ヒーラー、ワーカーの究極のあるべき姿ですよね。
ダライ・ラマの数万分の一、数千万分の一でも、そんなスピリットの在り方を目指したいものです。

ダライ・ラマがご覧になると言う人の本質、仏性を魂と捉えても良いでしょう。


人の中に何を見出すか。

鏡作家の愛さんは、その人の鏡を造るためにその人の目からその人の奥へと、許される限り奥へと入って行って、
そこにある泉を見るのだと仰る。

また別の方で最近お会いした不思議な力を持つ治療家のおじいちゃんは、その人の目を見ながらおしゃべりをしているだけで不調を治療してしまうと仰っていた。

きっと皆様共通して見ているものはその人の魂なのだろうと、ダライ・ラマのお話によって全てが統括されました。
そしてそれらはもしかしたら、私のこの先の方向性をそれとなく指し示してくれているのかも知れないなぁと、
おこがましいのを承知で思っています。

サンクチュアリという名前を付けたサロンも、今は実態はありませんけどエネルギーの領域にその場は存在しています。

しかしこの名前は決して私がそんな神聖とか、高尚なエネルギーや場を用意していることを言っているんのではなくて、それぞれの中にある聖域をそれぞれがに見出せるための場所と言う意味で使っています。

だから存在する方法は物質レベルじゃなくて良くて、その様に意図することで生まれている意識の領域そのものを指しているので、そこでそれぞれが仏性を見出すことが出来たら理想的だなと思うのです。

鏡作家愛さんの言葉をお借りすると、誰にでもその眼の奥に美しい泉の様な水場を持っています。

魂の泉を覗き込むスピリット

そんな泉から少しでも、そのカケラを、エッセンスを掬い上げられたら。
その永続性と普遍性を感じられることが出来たら。

貴方のサンクチュアリは、誰にも穢すことの出来ない普遍の領域であり、
貴方の魂は誰にも傷つけることの出来ない輝きを放つ being なのだと、腑に落とせるのかな。

腑に落ちるとは、肉体にその解釈が溶け込むこと。 
そうなったらきっと、魂のエッセンスがこの現象界を動かすことになるのでしょうし、魂と肉体と精神が統合された存在として、人間存在の新たな定義づけが出来るのかも知れない。

トライゴーニッククリスタルはまさにそんな旅路を共にする存在

あなたの内なる仏性、キリスト意識、魂を、顕現させる時代を始めましょう。

久しぶりの投稿で散文気味なのはご容赦を。

ではまた、これからも書くつもりですのでどうぞ宜しくお願いいたします。

橙香