古都にて ~意識の根底に流るるもの ~ その3

京都滞在3日目は、ようやく晴れました。驚くくらい朝からスッキリとした快晴。
この日は一日市内をグルグルと巡る予定だったので助かります。
たくさん移動するので、自転車で回ることにしました。

先ずは下賀茂神社へご挨拶。
ここは私の京都ワークにおける全ての起点。ご挨拶は欠かせません。

そしてワークにしてはとても珍しく、平安神宮へ。東の青龍さんと、西の白虎さん。

平安神宮へはこれからの時代の変遷のサポートをお願いしに行った感じです。
初めて神苑も訪れてみました。

ここが一番美しいと思ったスポット。外国人旅行客の方が絵を描いていらっしゃった。

さて、ここまでは序章。いよいよ本題です。

今日の一番の目的地はこちら。金戒光明寺という浄土宗のお寺です。

ここには幕末戊辰戦争関連で殉職された会津藩士の墓地があります。
私はそこへ、この京都へ来る前に皆を連れて廻った南会津で拾った石達を連れて来たかったのでした。

事の発端は勿論南会津鉱脈ツアーからの流れだったのですが、私は最初あまりそこにフォーカスしておらず。

ただ単に、会津から京都という日程になったなぁと。
会津と京都、因縁深い間柄だなぁくらいに考えていたのですが・・・

京都へ来るほんの数日前に、友人が私の夢を見たと伝えて来てくれたのです。
その夢と言うのが本当にびっくりで、どうも私が会津の石と一緒に音を拾って来ていて、その音で歌を作って録音していて、軍歌をその歌で浄化するセットを作って彼女に売りつけようとしている夢だったとか!

それがなかなかの値段だったので、彼女も夢の中で迷ったらしかったです(笑)

まぁ、そのセットが売れたかどうかはさておいて(笑)、私は軍のエネルギーを会津から拾って来た歌で浄化するというお話に、明後日から京都というタイミングがピッタリ一致したのですね。

軍、つまり戦いのエネルギーを浄化する。会津の石とともに・・・。
そこで幕末、戊申関連の会津藩が関係した場所を調べて、こちらのお寺にたどり着いたのでした。

金戒光明寺は、浄土宗のとても大きなお寺でした。
東山の高台にあって広い墓地は京都市内が一望出来る眺めの良い場所。先にお参りした本殿では、奈良時代の観音様にお会い出来ました。吉備観音という観音様です。
丁度この前日までカルナレイキの観音エナジーにどっぷりと浸かっていた私にはとてもありがたく感じられて、観音様の前でカルナのマスターシンボルを繰り出してこれからのワークのご挨拶をしていました。

吉備観音香というお線香も見つけたのでいただいて、会津藩士の墓地への行き方をお聞きして。

会津藩士の墓地は、一番奥にありました。暑い中、上り坂を上がります。

木々が生い茂る会津の聖地です。

会津人でもない私が迂闊に入るのは大変恐れ多く憚れましたが、何しろ今日の私は会津の石と一緒です。

前日までの雨が上がって暑くなったこの日は、やぶ蚊がワンワンと唸るように湧いています。その中を、墓地を奥へと進みました。

ここにしようと決めて、会津の石達を取り出し始めました。

足元に藪蚊が見えるし、周りにもいるのが分かるので思わずパチン!  とやりたくなってしまうのですが、

あ、ここで殺生はイカン・・・そう声がしたのか、直観的に思ったのか、どっちだったでしょうか。
とにかく必死でした。

石達を取り出して並べ、少し意識を向けて。
目を開くと、こんな光が石に差し込んでいたのでした。

そして私はここで、先ほど観音香を買って来ていたことを思い出します。
お参りにいらっしゃる会津の方々が、ちゃんと名簿やお線香、ライターなどを管理していらっしゃったので火種もあります。

観音香を焚き、前日にやったばっかりのカルナレイキのチャンティングを心の中で唱えながら、私は全ての墓碑を一つ一つ巡りました。

そんな私に前後して、二人の人影がこの墓地を訪れていらっしゃいました。
こんにちは、と挨拶をしてそれぞれのことを成していたのですが、私が墓地を全て巡るとこのお二人が、会津の方ですか? と声を掛けてきて下さいます。

ここで、いえ、違いますと言うとまた話がメンドクサクなるので、ハイ。とお答えすると、その二人は近藤勇の流派の武道家の方々だったのでした。

このお寺は、幕末に会津藩担った京都守護職の本陣が置かれた場所。
そして新選組は会津藩の下、京都の警備守護にあたった人々。
二人は、そんなこの場所にご縁をいただき、昨年からまたここで稽古をさせてもらっていると仰っておりました。

そして、地元の人に差し上げるのもヘンですけど・・・と言いながら私に、福島のお菓子ままどおるを一つ下さって。お参りに来るために、冷凍してストックしているのだそうです。
会津若松城にも昨年初めて訪れて、その時もちゃんとここへ報告に来られたそうです。
京都らしいと言えば京都らしいのですが、今でもこうして時代を生きている人々がいるのですね。

こうしていただいたお菓子ままどおるは、まるで今日のお使いワークのお駄賃みたいだなと思えました。
最後に集合碑に只見のジャスパーを奉納して、お線香を上げました。
そして、事の顛末を会津のAnnaさんへ報告です。

驚いたことにと言うか、さすがと言うか、Annaさんはやっぱりこのお寺と墓地をご存じでした。
親戚が毎年慰霊に参拝されているのだとか。

京都の人々、会津の人々、そしてまた立場が違った薩摩や長州の人々。
それぞれに、抱く思いはまだまだ生きていて。

私ももしかしたら、そんな時代を京都に生きた魂の一人だったのかも・・・知れません。

そんな思いと共にこの地を後にし、向かったのは京都御所。鴨川をまた西へと向かいます。

左手には蛤御門が見える御所の入り口で、再び会津の石たちと。

松の枝をかざして、暫く休憩と共に穏やかな時を過ごしました。

そして最後に向かったのは壬生です。
壬生の温泉で粗塩を使いながら新選組の浪士と対話してこの日のワークを終えました。

帰り道に見た鴨川と月。東山に上る月。

そんな一日を過ごし、翌日は雨の中お越しいただいた方々とセッションをして。
久しぶりにお会いできた方、初めてお会いする方、それぞれに素晴らしい時間になりました。

ここからは、最後の夜の宴(笑)

新幹線が止まるかと言う中でしたが、ちょっとだけ京都らしく。


出町ふたばの豆餅をお土産に持って来て下さったK様、ありがとうございました♡

京都のお話は、これにて。
なかなか波乱に富んだ濃い時間でしたが、セミナー、ワーク、セッションを通じてお会い出来た皆様、ゆう子先生、大変お世話になりました。
サポートして下さった友人、Annaさん、そしてすべての存在達へ、ありがとうございました。

菫香