9月突入。
暑さがようやく去ったのかな。長い長い夏は台風が奪い去って行くのですね。
天中殺みたいな夏だったなと思います。
天中殺と表現するのは、上にも下にもタガが外れてどこまででも飛び上がれり堕ちたりできる時間、マジックアワーのような夏だったと思うから。
夏の異常な強いエネルギーに、気持ちもどこまでも高く飛び上がったような時間で、「菫香さん、よく遊び、よく仕事しましたね(笑)」 と、おやき屋さんのリョーコさんに言われました(笑)
はい、そうでしたネ・・・。
夏の最後のイベントは、Kibokoさんで行われた桃パーティーでした。
飛騨高山の高濃度な桃をふんだんに使った桃づくしのディナーコースを味わう夜で、桃の波動にクラウンチャクラがパッカーンとなってしまって驚きました。
あれからフルーツを見直して、もっとフルーツを取り入れることにしています。
フルーツカッティングはフルーティストのきよみさんによるもの。カッティングで味も触感も変わるそうで、流石なセンスでしたー。
https://www.facebook.com/fruit.stadium/
お盆が明けてから怒涛のセッションデー。個人セッションに始まり算命学コラボセッション、ワイヤー作品製作、ショップの発送などで怒涛の日々ですが、これだけ濃縮された時間を過ごしているからか、私の意識はなんだか多次元的と言うか多層的にどんどん拡大しています。
たくさんの方のエネルギー的な側面に触れて魂の記憶にアクセスしていると、もう地球次元なんてあっという間に飛び越えてしまうので、どんどんレイヤーが拡大するんですな。
例えて言えば、多面立方体のような意識ですね。
何か現実的に起きたこと、事象を、3次元の視点で見ると良い・悪い、合ってる、間違ってるで判断するのですが、それが多次元的になると様々な観点から物事を見ることになります。
思考もですし、レイヤー層も様々な層から事象を見つめることになる。
昨夜寝付けないで意識のそんな拡大する様子を眺めていたら、ふと入って来た理解がありました。
ハートのゼロポイントと言う言葉。
これは辻麻里子さんの著書、”22を越えてゆけ” にあったものですが、こうした多次元意識を行き来するために必要なのが、ハートがゼロポイントに固定されていることのようでした。
あ、私も確かに、ハートを軸に多次元を移動しているな・・・と、おフトンの中で思ったのですね。
今日はフルーツの波動でお届けすることにします。
先週くらいから久しぶりに、必要を感じたお客様に誘導瞑想を行っています。
インナーチャイルドとの邂逅、自らの男性性女性性のバランシング、パートナーシップと過去世の関係性、など、対峙しなければならないけれど、どうしたら良いか分からず行き詰っていらっしゃるご様子の場合に取り入れているのですが、以前だったら誘導だけにフォーカスしていたものが、もうそこに私自身が意識を留めておけないので、誘導しつつ、ヴィジョンを共有しつつ、カルナやセイキムレイキのシンボルを繰り出しつつ、別次元で解消すべきエネルギーワークを行いつつと言った、多層的なマルチワークになっています。
そうして見えてくる愛って、本当に多層的、多次元的です。だからハートをゼロポイントに固定していないと混乱してしまうのでしょうね。
分離、混乱は、魂のレベルでも起きているので、それらを統合して行く作業も多次元の愛に触れて行く、移行するためには必要だなとも感じます。
じゃないと精神を病むか、意識が乖離したまま現実を歩むことになってしまうのでしょう。
次元を越えるって、やっぱり愛なんだなと思います。
勿論今のままで良いのであればそんなこと考える必要もないのだけれど、何かより大きな多層的な世界を理解したい、知りたい、体験したい、そして自分というものの多様性と次元を超越した自身の意識と統合したいと思ったら、自身の内に蒔かれた愛の種を発芽させましょう。
その愛の種が発芽し、育って行けば、いずれきっとこの言葉の意味が分かるはず。
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
聖書のこの言葉、私の現時点での理解は、私を通じて大いなる意志、霊の意志が成されることを祈るものです。
自らの愛による自発的な行為、言葉、思い、祈りが、大いなる意志、創造主の意識、ハイアーセルフの意識によるものに沿うものであり、自らが大いなるエナジー、光を体現する柱であれるように祈るものです。
エゴは消滅しないまでも、大いなる意志に沿うものになり、より多次元的、多層的な意識へと開いて行く。
私はそんな在り方が好きですが、皆さんはどうですか?
是非自らの愛の種、探してみて下さいね。
菫香