ここのところ毎年、311を過ぎた翌日にブログを書くようになりました。
何となく、ですが。
10年前の翌朝は、とても時空間が混沌としていた気がします。
あの頃はまだこういう世界のことが全く分かっていなかったし見えていなかったので、
今の私の意識であの時間に触れてみると、そう言った時空間だったのではないか、と。
そして昨日も、また新たな時空間が出現していました。
まぁ、私達は日々時空を創造している意識なので事象としては昨日に限ったことではないのですが、
やはり昨日の創造はいつもと違った大きな動きに感じられました。
10年目という節目に、日本中が意識を向けていたからだと思います。
私の両の目からも、自分のものではない涙が溢れ出ていました。
自分の思いから来る涙と、そうではない涙。
あるいは両者が入り混じった涙。
こうして新たな時空間が出現するからこそ、私はこうして翌日に何かを書くのでしょう。
いわば新年のような切り替わりのタイミングとして、
この次元での時間を突如として奪われてしまった人生への祈りと共に。
日本という国土のタイムラインが大きく変わった節目。
集合無意識の選択が成された節目。
現象の世界を生きる顕在意識はそれを察しているハズなのに、
人々は既存の物質世界の在り様を変えることが出来ずにいる。
それでも流石に10年が経つと、諸々が崩れて来ているのが見えているのだけれど。
この10年で次元のワームホールがぽっかりと空いて、
多くの意識がその壁を通過することになりました。
恐らく私も、そのうちの一人です。
そこで見えること、分かるようになって来たことをこうして綴るようになったのですが、
多用な次元の層のどこをどう捉えてどう表現するか、これはまだまだ試行錯誤中。
どう伝えたら伝わるのかを考えつつも、伝わることとそうではないことがあって。
捉え方は人それぞれで良いと言うけれど、自由だけれど、
それでも伝わって欲しいエッセンスがあるのですよね。
そこが伝わっているとホッとするし、伝わっていないともどかしさを感じる。
時間をかけて浸透して行くことなのでしょう。
そして私の見ている次元も、それを伝える能力も、
より深みと精度を増して行かなければならない。
そうでないととても薄っぺらい表現と理解で終わってしまうので。
先日、とある方からのご紹介で不思議な能力を持つおじい様にお会いしました。
その場で成り行きで? なのか、その方から種々にエネルギーの伝授を受ける流れになり、
私の中ではその後数日は次元の乱高下が続いていました。
それがピタリと定まったのが昨日、311、10年目というタイミング。
本当に、不思議なことです。
神事と言うのがやはり相応しいのか。
そして見えて来た新たな視点。
ここからまた私は、新しいことを始めて行く予兆を感じています。
エネルギーが満ちて、その臨界点に達するタイミングがいずれやって来る気配。
これを昨夜感じていました。
何がどうと言うのは分かりませんが、予兆として感じたのは、
タイトルに揚げた人間の実体によりフォーカスして行くのだろうと言うことだけ。
それが神聖幾何学模様として見えて来たのですね。
私達の存在の実体。
今までよく、この物質次元を現実世界と顕して来てしまいましたが、
そろそろ現実という言葉の使い方を改めなければなりません。
それは今まで物質次元を現実をして見ている意識状態だったというだけのことで、
本当の現実とは? と突き詰めると、現実と言う言葉よりは
存在の実体そのものの姿とでも言った方が相応しい。
どの次元を現実、リアリティと感じるかは、それぞれ違うということを
知っておいた方が良いでしょう。
私たちの存在そのものの実体とは、幾何学立方体です。
今まで本で読んでいるだけの知識だったこの事実を、なぜか今朝、突如として
現実、リアリティとして理解しました。
恐らくは、あのおじい様から伝授されたエネルギーから成せるものだと思います。
その人の実体とは能力資質そのもので、
あのエネルギー伝授とは、そう言ったその人の持つ本来の実体、
能力をより拡大させてくれるものだったのかも知れません。
現におじい様ご自身はその能力を全く違った形で使われていらっしゃったけれど、
私は私で、また違った自分の資質に沿ったものとして表して行くのでしょう。
人間存在の実体そのものを見る。
存在の本質、神髄を視る。
私はそんなことがしたいのでしょうね。
それによって何が出来るのか、どう役に立つのかはまだ分かりませんが、
新たな時空間の創造になるのは間違いないでしょう。
意識の創造の世界、領域へ、より深く潜って行く。
そんな時間になっています。
また気が付いたこと、見えて来たことがあったらこうして綴って行きますね。
それでは、また。
橙香