玉堂の星が魅せるもの その2

古事記の冒頭、イザナミとイザナギの国生みの物語は、訳者池田夏樹さんの言葉を借りると、” 最初は若くて気持ちもみずみずしかったはずだけど、二人の仲は急速に変化して、最後はいがみ合う中年の夫婦のようになる ” というものです。

これには苦笑してしまいましたし、折しも私自身が夫に対してイライラする時間を過ごしていたので、あぁ、私のイライラや夫婦間のいざこざは、何も今始まったものじゃない、この国と言うか、世界が生まれる時からそうだったのだ。 という、何とも途方もない理解に落ち着いたのでした(笑)

そしてどう書くものか、表現を躊躇われるのですが、二人はそれぞれの体の欠けている個所に、余った箇所を差し込んで国生みを始めます。

次々に生まれて行く国とは、島。そして四大元素の土、風、火、水、続いて精霊のような自然界のディーバ的存在たち。

つまり、彼らが行った国生みとは、物質界の創造そのもの。

一方、最近の量子物理学の世界でもこの物質宇宙創成の最初は解明されています。

曰く、宇宙誕生の100万分の1秒より前までは、粒子と素粒子がぶつかり合っては消滅するだけの世界、エネルギーだけの世界だったものが、経緯は忘れましたが物質の最小単位となる粒子の方が3億分の1だけ多かったために、物質形成が始まったというもの。

何かの折に均衡が崩れた、破られたということなのでしょう。

このお話、とても面白いと思いませんか?

つまり、陰(女性性)の因子であるイザナミのパーツが足りなくて、陽の因子(男性性)であるイザナギの体のパーツが一つ  ”多かった” からこそ、この世界は物質側に傾いたのです。

もっと言えば、アインシュタインの説いた量子物理学の方程式、E=MC2 によると、より高いエネルギーは、より重い粒子を生成できるのだそう。

早稲田大学理工学術院総合研究所のサイトより引用します。

E=MC2からもわかるとおり、「より高いエネルギー」は「より重い粒子を生成」できます。また「より高いエネルギー」は「より初期の宇宙の状態を人工的につくっている」ともいえるのです。

http://www.rise.sci.waseda.ac.jp/pu_rise/page05.php

より高いエネルギーとは、より高次元のエネルギー。

私はこの物質創造が成された次元はやはり、ツインフレームの次元なんだろうと理解します。つまりどちらかが欠けていたり、余っていたりという不均衡が生み出す世界です。

しかしその上にある、この世界を生み出した次元があって、それがツインレイの世界なのだろうと思うのです。それがどちらも究極の完全な組み合わせ、無条件の愛の世界です。

究極の高次元のエネルギーだからこそ重い物質を生成できる。

これもまた、とても面白い宇宙の法則だと思いました。

人類の意識が一番底辺にあったのは、2000年前のキリストが磔刑に処せられる直前だったそうです。しかしそこからの2000年もあまり変わり映えしなかったんじゃないかとも思います。だって原子爆弾の投下だなんて事象が起きてしまったのですから。それとも、もっと次元が低いままだったら地球は破壊されていたのか・・・? あのくらいで済んだと観るべきなのでしょうか?

いずれにせよ、人間の行いの最低レベルを経験させられた日本と言う国でこうして瀬織津姫の復活があちこちで説かれるようになっていて、程度、理解の差はあれど認識は広がって来ていると思われますし、セッションでもツインレイのお相手に出会う方をちらほらお見掛けするようになりました。

究極のツインレイの世界はイザナミ・イザナギの創造した物質次元を超えたものですので、この次元の常識やましてや現代の既成概念では図ることの出来ない世界ですが、私達人間の意識はそこへ還ることを目指しているのであって、それがアセンションだと言えるでしょう。

欠損や欠落、余剰と言った不均衡が生み出した搾取と弱肉強食的なヒエラルキーの世界であるこの地球は、完全なる調和と愛の世界へと変遷することが出来るのでしょうか?そして、私たちの魂はどこへ行くのでしょうか?人間の魂の旅はまだまだ続きます。

玉堂星の魂は、そんな旅の記憶を司る者達なのかも知れませんね。お仲間は、まだまだ募集していますヨ☆

菫香