夕暮れが美しい季節になって来ました。
昨年はいつだったか、三日月がこのドコモタワーの頂上にちょこんと乗っかっているように見えた時期がありましたが、今年も観られるかしら・・・
昨日のセッションは、カルナレイキのシンボルを用いたヒーリングワーク。お久しぶりのお客様をお迎えしての時間で、終わった後の空が美しかったですね。
カルナレイキはすでに何度も述べているように、アストラル的感情の古く深い部分を溶かして行くような働きがあって、それがとてもパワフルに働くためにお客様へ提供することで私も一緒に変容の波を潜り抜けているように思います。
とは言え、見せられるヴィジョンはかなりユニーク。昨日は特にそうでした。
カルナは霊的な麻酔作用が効くので感情の追体験をしたりヴィジョンとして直面する必要がないと言うのが特徴なのですが、昨日はそのためか、ファンタジーの世界でストーリーが展開されていくという周到さがありました。
具体的なことを詳述するのは控えますが、昨日の舞台は何とドイツの黒い森に囲まれた古城。なぜドイツなのか分からないのですが、ドイツだって思うんですよね。
シンボルを使って行くと感情のしこりとなっているトリガーに値する人物が形造られて顕れたのですが、それがタイトルに挙げた通りの魔女だったのですね。
主人公に呪いをかける魔女。
その呪いによって主人公は、自分は絶対に幸せになってはいけない、とか、自分は愛を受け取るに値しない人間なのだ、とか、自分は決して愛する人に受け入れてもらえない人間だ、だの、不要なコントロール下に置かれて人生を歩むのです。
魔女の姿が顕れた時、呪いをかけた張本人である彼女の奥にあるものを理解しないといけないのは良く分かりました。
彼女もまた、その人生を哀しみや怒り、孤独によって歪めてしまった者で、人の不幸を自らの慰みにするしかなくなった存在なのですから。
魔女の瞳の奥の奥から、彼女のストーリーが浮かび上がります。
魔女はかつて、とても美しいお妃様のような女性でした。威厳もあるし気品も申し分ないお姫様です。
しかし夫である国王は、多くの妾との恋愛ごっこにうつつを抜かしていて彼女のことはまるで空気のように扱います。
彼女は幼いころより王宮に上がるべくして育てられたお嬢様でしたが、その王宮での生活はとても寂しく孤独なものになっていたのですね。
幼いころの彼女の姿は、自宅の館にある美しい池と庭で羊飼いのような男の子と仲良く戯れている可愛らしいお姫様でした。初恋の相手がその少年で。
そんなよくあるストーリーではあるのですが、こうして緩衝材的なおとぎ話を追いながらシンボルを用いて、魔女の姿になってしまった彼女、そしてその魔女に呪いをかけられていた主人公へとワークを行ったのでした。
黒い森に潜む魔女の姿とは、私達のシャドウセルフそのものですね。
潜在意識の森にじっと潜んでいて、私達の耳元でいつも呪いをささやく魔女です。
お前にはそんなこと出来るはずがない。
お前は決して人から愛されない。
お前には無理だ。
お前は幸せになどなれない。
そんな呪いをささやく魔女が私達の意識の森に潜んでいて、私たちの行動パターンに深く影響を与えます。
しかしそんな魔女が実は、私達が忘れたかった記憶、忘れたつもりになって意識の底のマンホールに押し込めた感情、それらを一手に引き受けている存在なのです。
だから、魔法の呪いをかける魔女は癒され昇華されると、望みや願いを叶える魔法で私達を助けてくれる存在へと変わります。
黒魔術が白魔術になるみたいな。
私自身、そんなセッションを昨日行ったためか、今朝自分のインナーセルフの姿が激変していて一体何があったのだろう? と考えてしまったほど。
でもすぐに、あぁ、私の内に潜んでいた魔女もまた昇華されたのだなぁと理解しました。
望むこと。
欲しいものを欲しいと素直に認めること。
愛されたい、愛したいと素直に思うこと。
そんな願望、欲求を歪めていると、歪んだ現実がやって来ます。
呪いが解けないまま具現化する現実は苦しいですし、虚しさや哀しみをふと感じてしまったり。
昨日のブログにも書きましたが、人間の感情とは複雑なもの。
一気に簡単に癒せるものでもありません。
薄皮を一枚一枚剥がすような、自分と大切に向き合う時間を要します。
それでも、その過程を経ること自体がギフトであり、魔女の魔法を解くための鍛錬の時間ですね。王子や騎士が姫を救えるようになるには鍛錬が必要ですから。
魔女に呪いをかけられた姫を救えるのは、内なるあなたのナイトです。
そしてそのナイトは魔女そのものをも救えてしまう。
自己探求とは、魔法の旅でもあるのです。
ご一緒に森の中を探求しませんか?
菫香