海人の旅路 その2


少し間が空いてしまいましたが、久米島の旅の続きを綴ります。

島に着いた翌日は、はての浜と言うスポットへ連れて行っていただきました。
ここは久米島の中でも一番有名な観光スポットであり、ダイビングやシュノーケリングのスポットでした。

はての浜はサンゴの堆積物が溜まった真っ白くて長い砂洲で、港から船で行きます。
数キロに及ぶ長い白い浜と、青い海以外何もない場所は、本当に世界のはての様な場所でした。

船で向かう途中、珊瑚礁のポイントを教えていただいたり、ウミガメのいる場所も通ったり。
ウミガメって本当にあの左右のひれの様な手を漕ぐ様にして泳ぐんですね。
天然のウミガメ初めて見ましたけど、泳ぐのが速くてビックリしました。

この日の朝はお天気が心配だったのですが、はての浜に着いた頃から次第に晴れて美しい海が見られて、少しだけ海に浸かってみたり、白い浜にゴロンと寝っ転がってみたり、貝を拾ったり。


世のはての様な白と青い世界は全ての心の靄を吐き出させてくれる場所で、

いいよ、いいよ、全部置いて行っていいよ。
全て受け止めるから。

次第にそう言ってもらっている様な気持ちになって、ツーと涙が頬を伝います。


全てを置き去りにした世のはては、本当にまっさらになれる場所で。
私のちっぽけなモヤモヤなんて海の藻屑以下で、それを受け止めてくれる海の大きさよ。

レムリア意識を強く感じます。

世界のはての先にある、5次元の領域を垣間見させてもらっているかのようでした。

私はまた、この場所に自分の身を置いてみて、この広くはて亡き海洋へ漕ぎ出した人々のことを思わずにはいられませんでした。

一体何を思い、何を頼りに、古代の人々はこの大海原へ漕ぎ出したのだろうと。
このはて亡き海の先にどこかへ辿り着けると、どうして思えたのだろう?
どこへ向かって漕ぎ出せば良いのか、どうした分かったのだろう?

それは、流れ着いた一本の小枝かも知れないし、何かのカケラかも知れません。
兎にも角にもそうやって海原の先にある世界を目指そうと、海洋を渡ろうと思った人々が太古の昔に小さな舟で漕ぎだしたのでしょう。
やがて潮流に乗り北上し、この島やその先にある日本列島へと辿り着いた人々がいたのだと思うと、何だか途方もないものを感じてしまいます。

海人の旅路は、星を読んだのだろうか、なんて思いました。
星を頼りに海図を渡ったのではないかと。

それらを裏付ける情報は、帰宅した後に得られることとなりました。
グラハム・ハンコック氏の著書、神々の指紋の冒頭にある記述が、これら海人の旅路と一致するものだったのです。

神々の指紋の冒頭には、与那国島の海底神殿遺跡へのダイビングの行がありました。
これらの構造物は氷河期の最後に海面が上昇した際に起きた洪水で海底に沈んだとされており、
そこで消滅したのは超古代にあったグローバル文明ではないかという仮説です。

与那国島に超古代文明があったのなら、海洋民族が海を辿る術を持っていたことも納得が行きます。

世界的な海洋民族として知られるミノア人やフェニキア人はそれよりはるか昔に描かれた海洋図を使ってあらゆる海を航海していたそうですし、太古の人々は性格に井戸を計測できる公開道具を持っていたともありました。

ここで言う太古の人々とは、私達が想像する原始的な人々のことではない、より優れた高度な文明を用いた人々のことです。

海洋民族の叡智とは、そう言った先史文明の末端を垣間見させてくれるものなのかも知れません。

久米島で感じたはてのはての先を見る祖先の意識。
それらが私の魂にも刻まれているルーツの一端ではないかと感じたのは、東京へ戻って来てからのことでした。

続きます。