イースターの譫言

ちらほらと、袴姿のお嬢さんを見かけた今週。
卒業式シーズンなのですねぇ。
私は甥っ子姪っ子が多いので、今年は誰がどうなるんだっけー? とか思いを巡らしたり。

と言っても親ではない私は友人とのお花見やらランチやらの企画ばかりです(笑)
そして今年も、御苑の桜シーズンに合わせてサロンオープンデーを開催します。
サロンから見下ろす桜をご覧になりにいらして下さい。

ショップセールも連動します。対象商品が10%~50%オフになりますので、サロンで見たい方も是非どうぞ。

50%って気になりますよね(笑)こちらの対象は、原石・タンブルです。
私のこれからの方向性が変わりそうなので切り替えを思い切ってやろうと思っています。
別に石に興味がなくなったとか、好きじゃなくなったとかではありませんし、
またオッ!と思ったらクリスタル達も仕入れて来ちゃいそうですが。

ただ、切り替わり、節目なのはずっと感じていますし、多くの方がきっとそうなのだろうと思います。

御苑の桜が今年も楽しみです。

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さて、そして。

旅立ちの季節に、この世界を自ら旅立ってしまう子供の記事が目に入り、いたたまれない気持ちを感じています。

精神科医のS先生のブログでもいじめに関する記事が挙がっていますが、
子供の社会は大人の社会の縮図だと私は捉えています。
https://drangelica.hatenablog.com/

大人のいじめも陰湿ですよね。

2011年3月の震災が起きた時に私が在籍していた会社も、今思うとなかなかだったなぁと思ってみたり。
私が会社を辞めようと思ったきっかけは勿論この震災によるものが大きいのですが、それを後押しするかのように決定打となったのは上司からのいやがらせでした。

SEの部署で会社全体のシステムを管理運用する部署で、当時私にとっては史上最難関のシステム入れ替えというプロジェクトがありました。
これは計画から入れると3年ほどの歳月を要したとても重要なプロジェクトだったのですが、私の上司は計画が始まった途端に鬱で休職。
その後のプロジェクトの推進と案件が一気に降りかかって来て、つぶれそうになりながら耐え抜いたのでした。

おドイツ製の最新プログラムを導入することになったので、国産システムとの概念設計の違いに戸惑いながら皆で進めたプロジェクトで、私はかなり中枢を担った自負がありました。
あの頃、多分誰も知らなかった部分なども把握して全体を俯瞰してプログラムを動かせたのは私だけだったのです。

そうして新システムが運用開始してから復職した上司さんは、やはり新しいシステムを覚えることが出来なくてリハビリのように別部署へ。

だったのですが、その上司にその後私はとても嫌な目に遭わされました。

よほど私のことを恨んでいたんでしょう。
とても嫌なやり方で私のコンプレックスをグサリと突かれて、あぁ、この人はこんなにも私のことが嫌いだったのかと、醒めた思いを抱いたものです。

あんなに仕事肩代わりしたのにこれかよ?! と言うのがその時の本音でした。

記事がつまらないので明るい画像など(笑)昨日覗いた素敵なショップです。

私は子供の頃から嫌われることが多かったです。

同居していた祖母がインナーチャイルドむき出しの人で、曾祖父に今ならDVになるような体罰、折檻を受けて来たことはイヤというほど聞かされて来ましたが、長女の私を彼女は自分と同じように、と言うよりも私に自分の子供時代を見ていたのかも知れません。


幸いにも叩かれたり暴力を振るわれたことはありませんでしたが、かなりきつい性格の祖母で長女の私には辛く当たることが多かった。

幼稚園の時から通園の先のおうちの同世代の子供たちからの、いわれのない嫌がらせやイジメもありました。
子供らしい残酷さで何も悪くなくても、住んでる地域が違うというだけで仲間外れにされる。
意味が分からなかったし、あの野蛮な子たちと関わりたくなかった。

クラスメイトも陰湿でした。
一人の声が大きい子に従って誰もが同じ態度を取り、私はどうやら陰で無視することが決定していたらしかったです。

私は比較的、自我が成長するのが早かったんだと思います。
だからなのか、こういうことをされてもあまり気にしなかったし、寧ろ自分の意思がない子達の態度にあきれていました。

小さな田舎の小学校でしたから、中学校に進学すると他校のもっと声も態度も多きな子達に呑み込まれた彼女たちは小さく黙り、進学する知性もないのは分かっていたので高校も分かれて私は自由になりました。

だから、未だに実家へ帰省しても同級生と会うなんてこともありません。

勿論驚きましたが、何だかちょっと、あぁ・・・と、分ってしまうような気もして。
正直にシンプルに、やっぱり人をいじめるような人は碌な人生にならないんだなと思ったものです。

子供の頃のことなんて彼女たちはすっかり忘れているでしょうけど私は今でも忘れないし、
心の傷は一生消えることはないでしょう。
でも、それでもその傷を覆う愛はたくさんたくさん受け取ることが出来ています。

そして大切なのは、無邪気な邪気と、愛のない嫉妬や妬みがひきおこす子供っぽいいじめは
こちらには何の落ち度もないということ。

大人になってからのいじめはまたちょっと違って、もう相手の内の欠乏や、カラっぽの中身を覆い隠そうとする小さなプライドが透けて見えるのでかえって滑稽で憐れみを覚えます。

子供の頃の辛い経験は、著しく貴方の自尊心の育成を阻むものです。
自分の尊厳、魂のプライド。

それを健全に育てていくことと、健全な自我を育てていくことが子供時代には何よりも大切で。
子供がそれが出来ないということは恐らくその親御さんも、そうした成長過程を経験していません。

私達の祖父母は戦争体験の世代で、戦前の貧しい時代から価値観がどんどん変わって行く時代を生きてきていて、明治時代の厳格な躾に育てられたまま資本主義の時代が始まり、その中で子供をとにかく食べさせて行くだけで必死だった世代です。

その子供たち、つまり私達の親世代は戦後生まれですが、そんな生活に必死な親から愛情を受け取っている実感が希薄なところへお金と物質という概念が愛に取って代わってしまっていますし、自分が存在することへの自己肯定という概念も分からない場合が多いでしょう。

だから、私はいつも思うのですが、
親から、先祖から受け継がれた負のスパイラル、愛の枯渇、外へ、他者へ生命エナジーを求め、与えられないと自分の存在を全否定されたかのように傷つき、怒り、人や社会を恨んだり憎んだりして生きて行くようなスパイラルは、私達の世代が終わりにしなければなりません。

子供の私をいじめた同級生やまわりの子達、祖母、そして元上司。
彼らも皆、満たされないもの、渇望しても受け取れないもの、自己の存在の全肯定。
そんなことを求めていただけだったのだろうと思いますし、彼らの方が実は哀しみが強かったのでしょう。

見えない世界の存在達に助けられ、癒され、私もようやく愛を受け取り与えられるようになったかなと思います。

これらは日本社会の課題でしょう。

ヒーラーというお仕事をこれからも続けるのかどうなのかを考える時、
どんな形でも良いから、こうしたことを伝える必要はやっぱりまだまだあるのだなと思ってみたり。
それは私一人の宿命やカルマが終わったからと言って、解放されたからと言って、じゃあ私はもう好きに生きていいんだとはならない部分があるのでしょう。

それが、世代として受け継がれた宿命です。
この国の、この時代に生まれた魂の意思と意図があるのでしょう。

でもきっとそれも、個人が愛と自由と尊厳に基づく人生を歩み始めれば自ずと解消されるものかも知れません。

そうなったらきっと、いじめもなくなりますよね。

世代として取り組む宿命があるのだと、自覚する昨今です。

桜の季節を待ちわびて。

菫香