レイキ新時代

雨の朝ですね。
日ごとに冷え込んで来た感があります。
そろそろ暖房器具が要るのかな・・・特に猫たちには。

みつばちコンベンションが終わって直ぐに入っていたセッションやセミナーで慌ただしさがひと段落したと思った途端に風邪をひきました。
寒い雨は本当に苦手ですね・・・

まぁ、そんな近況はインスタやFBの方がパパッと揚げられるのでそちらに書いている通り。

Bleu(青)のお部屋は空が青い

さて、昨日は初めてお会いする方のウスイレイキセミナーでした。
最近またチラホラとウスイレイキ、そしてライタリアンレイキ伝授ご希望の方が増えていますね。
どういった傾向があるのか不思議ですが、私のところへはウスイとライタリアンの方が多い印象があります。 そしてカルナレイキは少ないかも。

魂のご縁やエネルギー的な親和性などがあるのでしょうね。
いずれにせよウスイレイキは全てのエネルギーワーク、意識の領域を旅する者の入り口として機能してくれますので、ここを理解していらして下さることは嬉しいです。
今回の方も他の先生からウスイレイキをお勧めされたとのことだったのですが、ちゃんと日々にレイキを取り入れて使いこなしている方から教わるようにして下さいとのアドバイスであちこち探されたそうでした。

ウスイレイキのセミナーは検索すればたくさん出てきますし、大抵の比較対象は時間とお金でしょうから、その様に ”生きたレイキ” を探して来て下さるというのは本当に嬉しい限り。

エネルギーを動かす、意識して意図することは筋トレと同じで。
使わなければ衰退してしまうのは地球の物理法則に叶ったことなのかも知れませんね。
今更ウスイレイキだなんてと思われる方もいらっしゃるかも知れませんし、他のエネルギーワークのツールも今となってはたくさん地上に降ろされているのかも知れないけれど、私はウスイレイキを基盤にして自らの意識とエネルギーフィールドの構築を行って来たために私のところへお越し下さる方には自然とお勧めする流れになることが多い。

且つウスイレイキは既に世界中にプラクティショナーもティーチャーも多く育っているために、エネルギーの集合知としての基盤が大きく、既に普遍性を持つものだと思っていて。

以前ある処で、こうしたエネルギーワークはそれぞれに個々の降ろした人の意志や意図、想念が入ってしまうと否定的なご意見を述べられている方をお見受けしたのですが、私がウスイレイキをアチューンメントして来て感じていることは全くそういったものではないので、あぁこの方はレイキのことを知らずして仰っているのだなと感じた次第。

アチューンメント時に臼井先生が顕れたりしたら却って問題じゃなかろうかと思うほどに、ウスイレイキは既に普遍性を持つものとして地上に広がっているというのが私の認識です。

やはりこれは人数と年数の賜物でしょう。
携わる人の数が増えれば増えるほどに、それは地上での普遍性と集合意識を形成すると思います。
だからこそ、先ずはウスイレイキ。で良いんじゃないかと思っています。

レイキセミナーのお供はアポフィライトと地球ソーダライト

そして今朝になって、臼井先生はきっと、自らの名前や尊称や名誉などが後世に残ることなど全く眼中にない方だっただろうなと考えていました。

結果としてその名を冠したワークとして世界中に広がったけれど、レイキがご本人の意志や思惑、想定する範疇の枠などを飛び越えて広がり発展することを願った方なんじゃなかろうかと。
決して自分の名前や存在を頂点にしたピラミッドを創ることを考えることのない方だっただろうし、そういう方だったからこそこんなに普遍性のあるものを地上に降ろせたのだろうと。

そして後世にこのエネルギーが伝わり多くの方の助けとなることを願っただろうし、そこに自分の名前が残る残らないなんてきっとどうでも良いことだったのだろうと思えるのです。

本当の謙虚さって、そういうことなんでしょうね。

名前など消えても良い。善なるエネルギーが残れば良い。
私はウスイレイキからそんな謙虚さを感じています。

面白いことに、見えない世界って意外と自我だけは目立って見えてしまうんですよね(笑)

ベースにあるものが何なのか。

愛なのか、何なのか。

あぁ、こう書くと私もまた自戒しなければなりません(笑)

夕刻には東京タワーのライトアップが見られましたが慌ただしくて写真を撮り忘れました。

ウスイレイキが生まれてから100有余年が経過していますが、当時の世界はもっと単純なものだっただろうし、人々の精神ももっと素直だったりシンプルで、昨今のように大量の情報や多様な想念形態など存在しなかったことでしょう。

それを思うに、私達はあまりにも多くのエネルギーの中に生きていて。
そしてそれらが本当に真の人間性や精神性を育むためのものになっているのか。

スピの世界とて、ウスイレイキの生まれた時代から見たらあまりにファンタジーに覆われ過ぎていないだろうかと。

そのファンタジーが叡智や真理を語るための良質な寓話だとしたら良いのだろうけれど、どうもそうではなくて、真実を歪めるレンズのようになってしまっている気がするのです。

都合の悪いことを見ようとしないレンズだったり、自己に都合の良いように真実を歪めるレンズだったり。

私はそこに、臼井先生が説いた ”正直さ” の欠如を感じます。
正直さとは、現実や事実、事象を歪めることのない判断力、知覚認識力です。

ファンタジーの霧が濃くなっている現代において、ここがとても危うく難しくなっている気がします。

レイキがそんなファンタジーの霧を消散させてくれるとは言いません。
それをしなければならないのは私達の自覚と意識ですが、レイキはその助けになってくれるとは言えると思います。

あぁもう本当に、エネルギーとは意図次第、ですね。


見たくない、知りたくない現実が蔓延しています。
知ってしまったら自分を保つことが出来なくなってしまうことだったり、
今までの信念体系や想念のフィールドが崩壊してしまうことになりかねなかったりしています。

でも、それでも。

幻想、グラマーを破壊できるのは現実の事象を直視することだけじゃないかと思いますし、且つそこから発展的な信念体系を構築して行くことでしか人間の精神を成長発展させることは出来ないだろうと思います。

人間存在自体の正念場ですね。

ではでは。

橙香