古都にて ~意識の根底に流るるもの~ その1

京都滞在の数日間、唯一晴れた三日目の鴨川。 相変わらず清々しかった。

京都の数日は、先にアメブロでも触れましたがリトリートのような合宿のような期間でした。

カルナマスターコースを受講することがようやく叶うことになり、先生の指示で全てのシンボルを覚えてそのエナジーに慣れておくことが必要だったため、あまり使っていなかったカルナシンボルを集中して取り組んでいたこともあってか、前日から風邪をひいてしまって。

何らかの浄化、開放が起こっているのだろうと思いつつも、体調が思わしくない中で早起きしなければならないのはなかなかしんどくて、案の定起きられなくて、シャワーも浴びず化粧もできずに慌てて着替え、荷物を引っ張って新幹線の時間を気にしながら霧雨の中発熱も感じつつ、電車に乗って何とか新幹線に乗り込みました。

今回は、始まりからハードだな・・・
発熱しているのでうつらうつらとしながらの新幹線で、着いてからの行き方を確認しようとメールを開くと、何と私は開始時刻を一時間早く勘違いしていて、京都駅で一時間半ほどの空き時間が持てることに気が付きます。

えー・・・あらら・・・ でもこれで化粧が出来るか・・・

少し安堵しつつ、暫く経つとやはりもっと身だしなみは整えたいし髪も洗いたいと欲が出てきます。
シャワー室とかないかしら・・・? 空港みたいに・・・観光地なんだし・・・

早速検索すると、駅にはそういった施設はないものの、周囲にはサウナやカプセルホテル、マンガ喫茶などがいくつかありました。 夜行バスとかで着いた方向けに良いのでしょうね。
その中で、京都タワーの地下に温泉があることを発見します。

あー、ここに行こう。

京都駅着ギリギリで決定し、ホームに降り立つと一直線にほぼダッシュで京都タワーへ向かいました。
微熱があったけど温泉で発汗出来ると少しスッキリして、ようやく身だしなみも整えられて。

・・・しかし何だか本当に想定外な慌ただしい展開。

そんなこんなで、鞍馬口まで地下鉄で移動して、先生の元へ向かうことが出来ました。

初めてお会いするゆう子先生、優しく迎えて下さいます。
その豪邸の素敵なことと、そこに並ぶ石たちの素晴らしさに驚きながら、波動の良い心地の良い空間に辛い体調でも何とかセミナーをこなせそうな気がしてきます。

遠くに比叡、裏手に鞍馬、鴨川に御所。

何と素晴らしい場所なのでしょうね・・・・。

比叡と東山と鴨川

そんなこんなで始まったカルナマスターコースは、これまた初回のアチューンメントから衝撃的でした。

レイキのエナジーはアチューンメントでのみ継承されるのですが、ゆう子先生の人柄なのでしょうか、私は受け取るエナジーのあたたかな波動に、涙が止まらなくなってしまいます。

カルナレイキのカルナとは、観音を意味します。
アメリカのレイキスクールで数名のレイキチィーチャーが受け取り、体系立てて世に送り出した発展形レイキであり、ウスイレイキのマスター修了以上の周波数、エナジーの器が構築されていることが受け取る条件です。

アメリカのマスターの皆さんからしたら観音という存在を知覚し認識することはとても大きな意識のシフトだったことだろうと思いますが、幸いにも私達からしてみると観音様はとても身近ですね。

私はその観音様の慈愛のエナジーを身体に流してもらいつつ、マスターシンボルを受け取りつつ、大変古い古いところから浮かび上がってくるものが赦され解かされて行くのを感じて、熱い涙が頬をボロボロと伝い堕ちるまま、風邪なのもあって鼻水も垂れているのも分かりつつ、印を結んだ手は解けないし、どうにもならずにただただ泣いていました。

なぜか理由は見えないながらも、あぁ、こんな私でも赦してもらえるんだ・・・   そう感じていました。
ということは、この湧き上がってくるものは何かしらの罪悪感か・・・
それもどうやら宇宙由来くらいの古い古いもの。
オリオン大戦、若しくはもっと古いものかな・・・ まだあったんだな・・・なんて深く古いものだったんだろう。

そう感じつつ、嗚咽号泣と開放が起こったアチューンメントでした。
初めてウスイレイキのアチューンメントを受けた時も私はもう取り乱してしまいそうなほどの大きな衝撃と涙があったことを思い出します。

終わってからのシェアリングで宇宙由来の罪悪感が赦されて行くのを感じていたとお伝えすると、他の皆様は女神やマスター的存在が顕れてくれていることを伝えていただいていたのですが、その中で私一人、繋がって来たのはシリウス、プレアデスに続いて圧倒的だったのがオリオン評議会だったそうでした。
カルナで宇宙的なエナジーが降りて来るのは珍しいと言われ呆然としてしまいましたが、それだけ私の持っているものが古く重かったのでしょう。
初日の初回からこんな衝撃的な展開。
来るべきタイミングでここに来させてもらっていたのだなぁと感じます。

その夜は、とてもとても深い闇をただただじっと見据えるような時間でした。
虚構、ボイドと言う感じがして、そんな虚構の深遠な深みの淵に手をかけてじっとその中を覗く自分を感じる夜でした。

救いのない虚構と絶望が、ただただ深く広がっていました。

東山に上る月は鴨川に映る月

早朝から夜まで、考えられないような時間軸の中をグルグルと動き回っていたような始まりで、この日は写真の一枚すら撮っていませんでしたね(笑)

続きます。

菫香