存在としての私達の生末について その1

お盆が終わり、私の夏休みも終わりました。
今週はイベント続き、そしてセミナー、セッションへと入って行きます。

お盆はやはり、お盆らしく過ごしたい。
そう思ったのと涼しいところで過ごしたかったのとで、実家へ長めに滞在して来ました。

お盆の期間は霊界の扉が開いているのでセッションはやらないことにしています。やはり普段と違うエネルギーなのですよね。
そして他のお仕事をしようにも、周りがお盆休みだとやっぱりその空気と言うかエネルギーがあるので、その中で自分だけ通常稼働しようとしても調子が出ません。

だから、やっぱりお盆は自分にとってのお盆らしい過ごし方をするのが一番良いなと思う次第。
そして私にとっては実家の涼しい部屋と、親族が顔を合わせ祖先を想う昔ながらのお盆が良いです。

そして御苑サロンを閉めたので何も気にすることなく、久しぶりにお盆らしい時間をゆっくりと過ごしました。

何と姪っ子甥っ子が総勢8名、久しぶりに全員揃うという展開になり、
それぞれの成長ぶりにはおばちゃんらしく目を細めてしまいました。

皆が一緒になって遊ぶ姿を見ているのは楽しかったです。
子供は子供同士の関係の中で、ちゃんと人間性や社会性を学んでいるんだなと。
自分だってそうだったんだと思いますけど、私はどちらかと言うと早く大人にならなければならない立場だったので、子供らしい言動を素直に発揮している子を見るのは何だか眩しいのです。

子供の時間、子供でいられる時間って本当に大切な貴重なものだなと思いました。

甥っ子姪っ子たちを見ている限りでは、彼らには左程大きなインナーチャイルドの傷は形成されていないように見受けられます。
今の子供たちは親が大切に育てるので、私達の頃やもっと上の世代が作ったようなインナーチャイルドの傷は形成され難いのでしょう。
(勿論大変なご家庭もあるのでしょうけど。)

長めの滞在で私がもう一つ可能にしたことが、自分の子供時代の記憶や傷の回収でした。
もうそんなものはないと思っていたのですが、やっぱり実家という場所にじっくりと腰を据えることで思い出されるコトモノは沸き起こって来るものなのですね。
それらの取りこぼしていた感情のカケラ達をしっかりと回収する時間が取れました。

れいわ新選組から出馬された安富あゆみ先生が仰っていたことに通じると思うのですが、子供が子供らしく過ごせることって本当に大切なんだと思います。
精神の虐待や心的トラウマを出来るだけ作ることなく、自らの素直で純粋な心をはぐくむことが、成長してからの大人としての言動振る舞いに大きく影響を及ぼす。

考えてみると当たり前に思えることなのですが、これらが認知され始めたのって、意外にもここ近年のことなのだそうです。

インナーチャイルドの記憶。

前回の記事の最後に日本人の闇と書きましたが、それが実はここに繋がって来ます。

8月という日本の闇を振り返る時間に今年は殊更様々な事件が起こっていて、それらに共通する底辺に流れる日本人の意識そのものが闇だと感じています。

過去を顧みて反省出来ない姿勢、なかったことにしようとする姿勢。
自らが被害者意識だけを振りかざしているけれど、加害の歴史には目を瞑る姿勢。
と、こうやってシンプルに書くと、つまりは日本人の意識が子供じみているのだということが分かります。

だってこれらはまさに子供の振る舞いですもの。
それも、精神が歪められたまま身体だけ成長した子供です。

日本人の意識の闇とは、つまりは成長出来ない未成熟な子供の精神を見て見ぬふりをしているところに起因すると思います。


恐らく、他国を非難したり口撃したりする姿勢の奥底には自らのインナーチャイルドの傷があります。
虐げられた子供、存在を認められなかった子供、悲しみを受け止めてもらえなかった子供たちが、日本人の多くの意識の奥底に閉じ込められたままでいて、戦争の記憶や悲惨さと共にそれらが目を覚まして暴れだすのですね。

それでは加害の歴史を顧みて反省の態度を表明するなんて出来っこないです。
自らが癒されていないのに非を認めることは自らの存在そのものを否定することに近しい行為であり、到底不可能です。

ヒーリングの世界でも当初先ず取り組むべきことは自らが被害者となった記憶のケアです。退行催眠などでも先に出て来る、掘り起こされるのは決まって自らの被害者意識の記憶なのですが、それらが大方終わった先に今度は自らが加害者として関係した事象が浮かび上がって来ます。

このプロセスは恐らく、精神の防御反応なのだろうと思います。
先に自らの加害の記憶が出てきてしまっては精神が崩壊してしまいますから。

それら両方を終えて、乗り越えて成長するのですね。

と言うことは日本人の意識が、そろそろそうした加害の記憶と真摯に向き合う時間になっているということだろうと思います。
それは精神的に成熟した人間になるためのイニシエーションです。

国家、民族、文明。

そんな大きな枠組みで人間というものを捉えると、日本人の今の立ち位置と現状を、私達一人一人の精神の成熟度という個人の意識が造っているのだと分かって来ます。

そして地球全体が一つの意識と精神の成熟度を観察されていることに気が付いて行きます。

本当に、見られているのですよ・・・。

恐らくは、人間がこの先大きな破壊的な活動、つまりは戦争を引き起こしてしまったら、人間存在そのものが宇宙からシャットダウンされます。
そんな低レベルな精神状態の意識はもう不要だと判断され、地球プロジェクトの成果はそんな不名誉なものとして宇宙に記憶されることになるでしょう。

さて、ではそうならないために私達一人一人がどうあるべきか。

その辺りはまた次回。

橙香