存在としての私達の行く末について その2

続きを書きますと言っておきながらなかなか取り掛かれずにおりました。
その間にも地球は、人類はまた加速度的に変化が進んでいるように思います。

但し、今や地球時間は個人個人の意識の領域による現実創造の時間へと完全にシフトしてしまいましたので、何も起こらず淡々とした日々が冗長に続いているという方もいれば、一日一日で意識が全く変わってしまうほどの濃い時間を過ごしている人もいて、それぞれのタイムラインはまるで別次元になっていると思います。

意識的に何をどう過ごしてどう生きるか? を個人が自分に問いかけ、自分の内から答えを手繰り寄せるプロセスを踏む必要があるのでしょう。
そうしないと造作ない人生の時間がただ過ぎゆくだけですが、それで良い魂もいるのでしょうし、良い悪いでもありません。

この夏の終わりに私は新しい体験として、鉱物アート教室に参加して来ました。
鉱物のエネルギーとアートと言う組み合わせは初めての試みです。

でもこれは、今年に入って直ぐくらいから私がアルクトゥルス意識やネルダ・インタビューを読んで受け取った理解そのままの流れだったのですね。

今年の初めに私はこんな記事を書いていました。

「 アルクトゥリアン達は、アートや音楽、芸術によって私達の惑星スキームを粉砕するための、幻想の柵を抜け出す光明を見出すための活動を後押ししてくれるのだと思われます。

これもまたネルダ・インタビューに拠りますが、アートや詩、音楽と言ったフォーマットには私達が従属しているこの地球上のシステム、人間を奴隷として創造し、自らは神として君臨するこの誤ったフォーマットに私達が気づき、その壁の隙間から漏れ出す光をキャッチするための情報や周波数が配置されているのだそう。

AI時代の到来により人間が人間らしい精神性を豊かにするものとしてアート、創造と言ったお仕事がますますこれからは大切になると私は思っていたのですが、それらがネルダ・インタビューの記述と一致し、またアルクトゥリアンの見解とも一致していました。」


というワケで、これらを打破するためのアートであり、クリスタルはその心強いサポートを担ってくれます。


鉱物アート教室は、トランス状態で降りて来たイメージをキャンバスに描くと言うチャネリングアート体験になりました。



インスタに既に少し記述を乗せましたが、赤の絵と青の絵が生まれました。

赤は生命、青は精神。

テーマは人間の二重性です。

瞑想で受けとったこの生命とは、単に肉体を稼働させている命という括りではなくて、何かもっと大いなるものでした。


私達はどうやら、肉体に入ってこの人生を過ごしている意識だけが生命だと思っていて、肉体が朽ちると抜け出して次の生へと移行するというイメージがありますが、生命とはそんなちっぽけなものではない様子なのです。

言い表せないものがありますが、この赤の絵のエネルギーはそんな生命そのもので、これは誰しもが持っていると言うか、誰もの生命の本質として描いたものです。

私はこんなに激しくないし強くないと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、それは貴方があなたという生命の10分の1、いや、100分の1しか使っていないから。という見解です。

つまり現代社会はそれほどに、人間がその生命を生きていないということなのです。

機械や仕組み、システムによって人間の生命はそのほとんどを使わなくても地上の生活が成り立ってしまっていて、それに順応してしまう人間は益々自らの生命を生きることをしなくなって行ってしまいます。

そうすると、どうなるか?

人間は赤のテーマ、生命を生ききることなしに、青の世界、モナドの世界へは入れないのです。

青の世界はモナド意識の世界です。
スピリチュアル界の人達が大好きな、いわゆる高尚なスピ世界ですね。

でもどうやら、そこへ到達するには赤の世界を生ききることが必要だということなのです。

きっとこの赤の絵を見る方は気持ちがゾワゾワしたり、落ち着かなかったり嫌な気分になったりすることもあるかも知れません。
それはきっと、潜在意識からのサインです。 
あなたの生き方それでいいの? というサインですね。

製作過程 のクリスタルを貼り付ける前

とても良い体験になりました。
アートがどれだけ、私たちの魂を開放するために必要なプロセスなのかを実感したと思っています。

前回の記事を書いた頃、私はかなり絶望していたし、日本の行く末を案じていました。
それは勿論今もあまり変わっていないのですが、もはやこうなったら一度この社会経済システムは壊れた方が良いと思い始めています。

それと共に日本人ってもっと本当は逞しかったはずとも思っていて、今の仕組みが崩壊しても、いや崩壊した方がきっと日本人はずっとずっと逞しく生きられるんじゃないかと。

そんな人間の根底にある逞しさ、つまり生命力に希望を託すしかないなと思っていたら、こんな赤の絵として生命を描くという展開になりました。

絵のパワーとメッセージの膨大さは凄いですね。
文章表現はいくら素晴らしくっても読んでもらえなければそれまでで(笑)、
それに比べて遙かに膨大な情報量を一瞬で伝えることが出来るのだなと。
音楽も同様で、思考と概念にブロックされない潜在的な部分まで情報を届けることが出来るということでしょう。

日本人の意識の解放。

これがアートによって起きて行ったら、とても面白いことになるのかも知れないなぁと思います。

こちらも製作過程のクリスタルを貼る前

表現の不自由展が大いに話題になりましたが、韓国との関係性云々以前の意識の根底にはそんな、日本人の意識を開放させたくない側の思惑が潜在的な部分であったのかも知れないと思います。

これからどんどんと表現や言動の規制が厳しくなって行く可能性は大きいです。
だからこそ一人一人、個人がアート表現をすることが重要になって来るのではなでしょうか。

そう思うと私も描きたいものって無尽蔵にある気がしていますし、表現方法や技法はもっと学んでみたいなと思っています。

その流れで今日はこれからちょっと面白そうな展示を見に行ってきますね。

ではでは、また。

橙香