概念を越えて ~只見の精霊たち その2~

野生や自然界と言うものは時折、次元の扉を開いてくれることがあるものなのだと思います。
それはこちらがその土地の放つ周波数とでも言うものにチューニングが出来た時に起きることで、その予兆として自然界の現象が顕れてくれるのかも知れません。

今回はそんな予兆だったのか、とても素晴らしいことに、野生の日本カモシカを見ることが出来ました!

移動の車中でふと話題になり、私は  ” カモシカ見たいー♡ ”  なんてふざけたことを言っていたのですが、それが本当に叶ってしまって大興奮でした。
一瞬のことだったので写真なども撮れずでしたが、ジャブジャブと沢を渡って山へと駆け上って行きました。

翌朝は只見の神社へ連れて行っていただきます。
ここは以前、Annaさんの作られたブレスレットがとても素敵だなぁと思い購入させてもらったところ、この神社の磐座のエネルギーを繋いで作られたと伺っていたので、今回是非ご挨拶に行きたいなと思っていた場所であり、Annaさんもまた私のツアーなら是非ここをと考えて下さっていたところでした。

もののけの森へと、ふたたび・・・

美しさ、かわいらしさとは、全て自然をお手本にすれば良いだけのこと。

ここは三つの磐座それぞれがご神体でした。

何とも言葉にならない荘厳な雰囲気でしたし、それぞれに古くから修行の場として使われていたのだろうという気配も感じます。
思考の具現化、想念の物質化などと言ったエネルギーと意識をコントロールするための修行の場、イニシエーションの場が、時代が下るにつれて願望成就の祈願の場所へと変わって来たのでしょう。

何を、どう祈るかは、その人それぞれの意識の周波数次第。

自然はそれすら、そのままじっと受け止める。

私達は自然に分け入らせてもらうことで、思考や想念、概念の色眼鏡を外すことが出来ます。
都会では、そんな人間の意識が張り巡らすネットワークにがんじがらめになってしまうのですが、そういった意識のネットワークが自らの思考、マインドに及ぼす影響ときたらハンパありません。

そうしていつの間にか、自らを見失ってしまうのです。
そして自分の本心、意識の深層部に閉ざされたままの自らの思い、欠乏、焦燥、哀しみ、口惜しさ、不安、恐怖、それらをマインドでごまかしながら生きて行くのです。

自然はそんな私達をジャッジせずに全て受け止めることで日ごろの概念まみれのマインドを解き放ってくれますが、只見のようにそんな自然界の懐の深さに触れられる場所も次第に減って来ているように思います。

三石神社から降りて来ると、隣に見えていたもう一つの神社へ行ってみることにします。
田んぼの畔道を、トンボやチョウチョ、草花を眺めながら。

こちらは御祀神が何と瀬織津姫。
水田用の用水路が整備されたことで水の神様が祀られたのでしょうけど、それが瀬織津姫とはいかにも東北らしいですね。

そしてこの神社の裏手が凄かった。
ただならぬ気配が降りて来る岩場で、Annaさんと二人で立ち尽くしてしまいます。

私はこの降りて来る何かの意識に畏怖の念を感じながら、目を閉じて問いかけていました。
今回この土地に来させてもらったことで受け取るべきもの、成すべきこと、伝えるべきことをちゃんと達成できたのでしょうかと。

しばらくして閉じていた目を開くと、パッと付近が明るくなって。
どうやらOKサインをいただけたと理解します。

それでも目が離せずに立ち尽くしていると、サヤサヤと栗の木立が揺れ始めました。
何だかとても、意図的なものを感じます。
小さな木立の後ろは二本の大きな杉の樹がまるでゲートのように立っていて、その間の空間が歪んだ気がしました。

ああ、時空の扉が開く・・・

岩山全体が次第に別次元の様相を見せて行きます。

ここに入って行ったら出てこられないだろう・・・そう思わせられるような、もののけの空間。自然が時折垣間見せてくれる別次元の異空間が広がっているのが分かります。

Annaさんと一緒に少しだけ岩場に近づくと、もうここから先は空気の分厚いベールに覆われているねと言う感覚がハッキリと分かるのでした。

” 行きたい方はどうぞ。もののけに会えるかもですよ(笑)” なんてご参加者の方に冗談を言っているうちに、サッとその気配が消え去って、その場全体がいつもの時空間へと戻って行きました。

どうやらあの岩場はその前に訪れた三石神社の磐座と繋がり、またこの地域一帯の山々に伸びた鉱脈から、Annaさんが神が住まう山と仰る朝日岳へと続いているのだろうと思われました。

今回は曇っていてそのお姿を拝見することは叶わなかった霊山が、この土地のさらに奥にはあるのだそう。
まぁ、いきなり訪れた余所者ですから無理もありません。
きっとそのような場所は、何度も訪れて自然への敬意を顕すことで次第に周波数が合って行き、その姿を顕してくれるのかも知れません。

自然の大いなる意志とは、そういうものなのだろうと思わせてくれた時間と空間での体験でした。

帰りの会津田島の駅にて。

Annaさん、修さん、ご参加下さった皆様、とても貴重な体験と濃い時間をご一緒出来たことに感謝です。
ありがとうございました。

持ち帰った石たちは、会津のあけびの蔓籠でお寛ぎいただいて。

そして帰って来てから気が付いたのですが、写真手前の大きめな石がどうやらペトリファイドウッドじゃないかと言うことが判明!

なんか、樹っぽいなぁ・・・としばらく眺めていてようやくハッと気が付いたんですけど、気づくの遅いです(笑)
それだけ原石って見慣れていないってことなんですよね・・・

会津の石たちは多様多彩で、自然の持つ力、人間の思考、想念、概念を外すパワーをしっかりと蓄えています。
自然が身近にない都会に住まう人にとっては石は自然のエナジー、パワーの供給源となり、本来の自己の在り方を思い出す手助けをしてくれるパートナーです。

只見の精霊にいつでも見られていることを忘れずに、人の在り方、自分の在り方を意識していたいものですね。

そして人間がいつの日か再び、鉱脈の精霊達と意識を繋ぎ直し、新たな関係性を築く時が訪れますよう。

ありがとうございました。

菫香