真実の光

新緑の美しく気持ちの良い時間になって来ましたね。
植物たち、樹々や草花の自然のリズム、誰に教わるわけでもなく合図もないのに一斉に生き生きと芽吹き始めるこの時間には神秘を感じます。

一体どんな存在が、どのようにして地球という物質次元でこんな美しい自然のサイクルを生み出すことにしたのだろうと思いを馳せてしまいます。

地球がとてもとてもバランスと調和のとれた惑星として、太陽系の安定と銀河の中でのその位置関係、それらがあってこそのこの地球の美しさなのだということはクリスタル講座でもお伝えした通り。

もう皆さんその辺りは大丈夫ですよね(笑)

とは言え、やはり、この環境設定、宇宙の環境設定は一体いつだれがどうやって成しえたのだろうという奥の奥のシステムは、まだまだ憶測でしかありません。

それを創造主と呼ぶしかない、のでしょうね。

しかしまぁ、自然の営みと地球のバランスに鑑みてこの人間の在り様には戸惑うばかり。

暫く更新が空きましたが、令和という元号になってまるで新しい時代が始まったかのように煽り立てるメディアに危機感を抱いていました。

天皇家はもはや日本の統治者でもないし、古事記の時代やもっと古い時代から見れば日本の在り方として今の状態が健全かどうかは、よく考えて自分で判断するべきであり、ここで書くことでもないのですが、新しい時代が始まったと言うのなら、政治と皇室の関係性を見直す時代に入ったと考えるべきだと思っています。

それはまた一人一人が自分で考える、調べる、知るという知性を働かせることが必要だということでもありますし、日本人はどうにもそこが苦手なのですが、精神が幼稚なままでは議論も出来ませんので、そうなるとまた自己の内面からの成長、発展が当然のこととして繋がって来ます。

内なる自己が未熟で幼稚なままの大人がいかに多いことか。

肉体の年齢と同じように時間を重ねるだけでは発展しないのが精神であり、つまりは精神と意識は物理的な時間に関与されない次元にあると考えられます。

そしてメタフィジカルな世界、精神世界、スピリチュアリティはそこを扱う世界なのですが、もともとこの世界の概念は既存の宗教の上に神智学の発展、そこから広まったニューエイジ運動に端を発しているもので、新たな思想として日本に輸入されてからは日本古来の精神世界、神学、仏教と神話の世界と相まって受け入れやすいものへと変質して広まって行ったのだと思われます。

だから日本のスピリチュアリズムは龍も天使も一緒くたなのですね(笑)

入り口としての機能は果たしているのでそれはそれですが。

そしてまた、私がいつも知覚する宇宙意識的な世界観は、神話的創造のシナリオを持たないアメリカ文化が生み出した自らのルーツ、起源をそこに求めるためのストーリーであったのだろうと最近は思っています。

なので私達はそれらに触れると、日本の創成神話との整合性を探り探求するというプロセスを踏むことになったのですね。

妥協点を見つけると言うか、その裏にあるものを探ると言うか。

そして回りまわって今ここに至り、私達が求めているものへ全て内にあり、現実は意識の投影により創成されているスクリーンの世界であって、自らが自らの現実の創造主であるのだという理解が進んできています。

外の神や神話から、内なる神への意識転換が進んでいるのですね。
これからもっとこの動きは早く大きくなるでしょう。

そうしないと人間は地球意識、宇宙意識と切り離されたままになってしまう。

そう思います。

クリスタルを愛で、自然に触れ、植物と対話し、大地を感じる。
その先にガイア意識との接続、リコネクションが起こって行くと思いますが、それにはどうも人数を必要とする様子です。
多くの人がそうなって行かないとガイアとの共同創成へ発展しないのでしょうね。

自然との対話、地球との対話。
日本人はそういったことが本来得意なはずです。
虫の鳴き声を美しいと感じ、四季を愛でる感性から文化を育んで来ました。
だから、ここからの方向性がとても重要です。

感性と知性を融合させた新たな世界観で現実を生きること。
そうやって日本独自の新しい精神世界を持つことが恐らくはガイア意識との真の繋がりになるのではないかと、ここ数日思っています。

キリスト教に端を発するスピリチュアルでも、日本神話という捏造が生み出した概念とそれの頂点にある天皇家でもない、日本人の感性、精神が内に向き、自己との対話からさらに意識の奥の世界へ入って行ったときに見えて来るガイアとの繋がりによる精神世界。

アミニズムに近いけれど、外に神を求めるものでは決してないもの。
だから日本人が長けているフィールドではある。

今の私が言葉に要約するとしたらこんな感じです。

そんな意識が広がって行ったらそれこそ本当にニューエイジですよね(笑)

それは、サロンにあるどの本にも書いてありません。
日本人には日本人の、新たなスピリチュアル的な思想が必要なのではないかとふと思ったところからこんなことを考えるに至りました。


そしてインナーワールドの旅にはアストラル的な想念のクリアリングが欠かせません。
アストラル的な存在からの惑わし、まやかし、誘惑。
それらを払拭するのはやはり内なる自己への信頼と愛の充足で、自己信頼と愛への帰還があってこそ奥行きのある旅が出来るようになるということです。

こんなスピリチュアリティは儲からないし面白くないのでウケが悪いんですけど、令和を新しい時代だと言う人々の裏に今までの都合の悪いことを覆い隠してしまうような雰囲気を感じるので、そうじゃないのだとしたら、ここからの時間を日本人が自らの精神世界への旅に本気で取り組む時代になってほしいと思います。

今のまま、スピリチュアリズムが幼稚なままではもうダメだろうと思うのですね。
そして現実と乖離した空想的な精神世界も。
それらは精神の子供が遊ぶフィールドに過ぎません。

成熟した大人の精神へと成長するために、子供は精神の庭を出て外の世界で自らを試し、挑戦し、挫折し、悩み、喜びや悲しみを知り、同時に精神を育てます。

日本人のスピリチュアリティも、そろそろそんな庭から出る時ではないでしょうか。
庭とは概念の囲い、柵で囲われた世界の比喩ですね。

日本神話という概念、キリスト教という概念、それらの先へ。

言ってみれば宇宙意識というのも一つの概念に過ぎません。
ただその枠、フィールドの幅の広さや深さに違いがあるというだけのもので、
人間、ホモ・サピエンスは概念というものから逃れることは出来ません。

でもどうせなら、それをより研ぎ澄ましたいし、真実の光を出来る限り歪めたくないもの。
レンズの厚みを少しでも薄くして行きたいものです。

日本人の感覚、感性がそんな知性と融合すれば、牛乳瓶の底眼鏡をかけているような歪んだ世界を見ている人間の視界、視野がよりクリアになる時代を期待できるんじゃないかと思っています。

感性という天性の資質があるのですから、知性は努力で培えますしね。

まだまだ限りなく薄いけれど、希望の光、真実の光を探し捉え続けて行く努力は諦めないように。

これは自戒です(笑)

そんな連休終盤に思うことでした。

菫香