秘教を越えた多次元宇宙へ向かう旅 その2

春はじまりの気配は混沌とした空と共に。

春先はこんな曇り空が続く気がします。

前回のお話に反応ありがとうございました。
私の理解も勉強も言葉もまだまだ足りない部分が多いかと思いますが、そんな心境でいるということをご理解いただければと思います。

準備途中のワイヤー作品。

初のアンダラクリスタルです。

前回の記事の後の数日は凄い時間だったなと思います。
先ず、はやぶさ2が無事に小惑星リュウグウへの着陸に成功しましたね。
前回のはやぶさ初号機の時の大変だったことを思い出すと、何とスムーズなパーフェクトな達成だったことでしょう!
それだけこの10年の技術の進歩、携わった人々の進化は素晴らしいものがあったのですね。

そして沖縄での普天間基地移設の如何を問う県民投票の結果が、多くの反対という意思表明になったこと。
天皇陛下のご在位30周年という時間に、こんなにも大きな出来事が続きました。

一見何のかかわりもない、関係のない出来事に見えますが、私にはそうは思えないのです。

科学技術の進歩と人間の精神的進化発展は必ず相対的であるもののはずで、いつか科学は目に見えない意識の領域の先の先を発見することになるのだとしたら、人間の意思、主権、尊厳を護るために声を挙げ、行動することも、はやぶさ2の快挙も、人間が同じ方向性へと向かっている両端の現象だと思います。

いつか科学がエーテルの世界のしくみを解明したり、アストラル的な幻惑を見破る日が来るのかも知れません。

その次元に人間の精神が引き上げられていれば、いや、引き上げられて初めて科学技術として顕現するのかも知れませんね。

そんな時代が見えてきている昨今ですから、スピリチュアリティのスキームをどう捉えるかを、見直さなければならないのも当然じゃないかと思います。

今日はまた、かの有名なドリーン・バーチューさんが実はとっくにスピリチュアリティを全否定して、キリスト教に改宗したという記事を見てひっくり返りそうになりました(笑)

https://ameblo.jp/sacredokinawa/entry-12439605232.html

誰もが持ってる彼女のエンジェルオラクルカードの定義はどうなる???(笑)

この方の場合は極端と言うか、キリスト教に今度は依存の対象が移行しただけのようにも見受けられますが、それでも衝撃は大きいですし、本当に誰もが自らの意識と精神のスキームの見直しをしているのだなぁと思った記事でした。

もうね、仕方がありません(笑)

かと言って、それまで自分が信望していた世界観や物事、指示していた師匠やグルと言った存在がいたとして、それに自分が違和感を感じたり、卒業の時期を迎えているのだと察したとしても、それまでいた世界を否定したり、なかったものにしたりすることもないのだろうと思います。

統合へ向かう私達ですが、その現象はやはりまだまだ相対的な世界で顕現します。
私という存在だけしかこの世にいなかったら、私は私を定義することすら出来ません。
他者がいて、相手がいて、相対的に自らというものを理解しています。

だから、違和感を抱かせてくれる対象、物事、人、存在がいてくれないと、じゃあ私と言う存在は何を求め、何が自分の本質であり、目指したいものなのかが明瞭にならないのです。

そうして、こうやって違和感を表明することによりまたそれを見た他の誰かが、私の違和感に違和感を感じたり、反論したくなったりするでしょう。

そこで議論したり、お互いを合ってる間違ってるだの、こっちの正当性を主張するだのする必要もなくて。
互いに自らの内に沸き起こる違和感や疑念を見つめ直して自らの真実を追求して行けば良いのです。

そのために、”違う” 相対的な存在として、目の前に顕現するのが他者であり、この現実世界なのですから。

私はこのあたりを、今回展開しているアルクトゥリアンによるセッションで教えてもらいました。
そうでなければ私もまた、自分と違う考えや思想を攻撃してしまうことになりかねなかったでしょう。

攻撃、排除、論破。

私はこれらを越えた先に行きたいし、これらがまた二元論の世界だから起こってしまうことだというのも理解したつもりです。

そして二元論の世界というものが、多次元世界をぺっしゃんこにつぶした紙の上のような平たい世界だということも理解できました。

それは、本来ならばあるはずの奥行き、時間枠、その他の要素をとっぱらった平べったい地図のような世界です。

立体を平面に表現するようなもので、そうすると深みが消えて平べっい絵のようになりますよね。
感覚的に捉えて言っていますが、私はそうすることによって善悪とか光と闇とか、まるで右と左のような方向づけしか出来なくなってしまうのだろうと思うのです。

ぺっしゃんこの世界だから、あっちかこっちしかない。
善か悪しかない。

それが、この地上の世界観だと思います。

だから、この地上の世界観で波動が高いとか次元が高いとか言っても、それは右か左の先の話なだけであって、平面上の延線の先、正しくは ”遠い” 距離が伸びた先なだけなんじゃないかと思うのです。

次元が上がると、高くなるとは言わないのです。
正しくは、増える。

判断の基軸が、要素が、エッセンスが、増えるのが次元が増えた証拠です。

高さ、奥行き、時間、その先の概念。

それらが自らの判断基準に加わった時、
果たして良い悪いだけで判断が出来る世界にとどまっていられるでしょうか?
清い、清くないだけで、二分出来るものでしょうか?

私は、多次元的な思考は罪悪感やコンプレックス、自己肯定感の低さを払拭すると思います。
それらは本来植え付けられる必要のなかった要素だったハズで、それらを取り除くことと、
魂の本来の輝きを取り戻すことはセットです。

それらが埋め込まれたのか、コントロールされたのかはさておいて。
そこに必要以上に縛られていてもまた身動きが取れなくなるし、自分自身への集中を削がれます。

こちらは春の女神シリーズのピアス

前回の記事を読んでくださったお友達が、プラトンの洞窟の比喩を思い出したと伝えて来てくれました。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、良かったらこちらをご覧下さいね。

ここで語られている縛られた人間が、鎖を解くにはどうしたら良いのか?
これもまたアルクトゥリアンのセッションで教えられたのですが、それには何よりも自分を愛することだそうです。

自分を愛することで私たちは、洞窟に繋がれた鎖から自らを解き放つことが出来るようになるのだと。
ハートのエナジーは腕に伝わり、それは鎖を断ち切ることが出来るのでしょうね。

多次元的な人間の在り方へ。
一般にこんな考え方が広く普及していくにはまだ時間がかかるのでしょうし、
スピリチュアリティのスキームとしてもまだまだ一般的ではないのかも知れません。

が、ドリーン・バーチューさんが自分の今までやってきたことを全て放棄したくらいですから(笑)、
ニューエイジも次の時代へシフトして行くのでしょうね。過渡期から成熟期へ転換の時なのかなとも思います。

雨後の竹の子状態で色んな説が雑多に繰り広げられるのは、その世界の認知を広めるための初動としての致し方ですからそれも否定することではありません。

そこから先の展望は新たなフェーズがやって来るというだけのことです。

こちらも春の女神シリーズのピアス。桜のイメージです。

と、多岐に渡って今の私が思うこと、伝えたいことを綴ってみました。

これがどこまで誰に響くか、どう受け取って下さるかもまたそれぞれ次第。

次元のお話しはもう少し続けて書きたいなと思っていますが、今日はこんなところで。

菫香