銀河意識時代の到来へ向けて その2

おはようございます。
昨夜の雨から一転して新月明けの晴れ空は冷たい空気ながらに清々しいですね。

寒い朝はキャンドルを焚きます。

お花の下に映っているのは、あーすじぷしーさんから届いた前兆カード。
https://www.seedszencho.com/

届くこともすっかり忘れたいた頃にこれからの前兆を報せるカードとして届いたのですが、
こういうのって本当にタイミングがドンピシャリですね。
今年になってからの私の変化の仕上がりがここに到達したと思える内容でした。

私のカードは、「禧い(さいわい)」
” 達成や成果のためにするべきことは何もないのです。すごろくを進める人生は繰り返しの永遠。
今を喜ぶために生きる人生は、今という煌めきの永遠。
人生とは達成が目的ではなく、人生そのものが目的なのです。”

だそうです。

ここにはもう、進化成長だのイニシエーションだのと言った目的や達成が何もない。
ただただ、ここにあることを喜び慈しみ味わうと言うものです。

そしてもう一つ時を同じくして、確定申告の決算書作成のために古い資料を取り出したら、
3年前に受けたあるエナジーワーカーさんのセッションメモが出てきて、ようやくその内容が腑に落ちて心の底から納得しました。
これはきっと、ここにいらっしゃって下さる多くの方にも響く内容だと思うのでシェアすると、


” 過去の宗教的囚われの部分、修道女的な生き方の部分、
どこかでまじめに生きなければならない、神は万能だという考えを緩めること。”

” 我をどれだけ愛せるか、我をどれだけ癒せるか、向こう側にあるのは統合=神。
いいものも、悪いものも愛しつくせることが我の神。
全知全能の神になる必要はない。地上で個性の花を開かせること。

” 憂いと罪悪感がある。
乖離の世界からバランス、アンカリング、善と悪の乖離を一つのテーブルに戻すこと。
自分から乖離したら善も悪も同じ。”

” 教会にいた女性、シスターのような姿。清廉なものを強く表に出そうとしてしまうパターンを持っている。
本来の自分になってこの地上で立つ。 個性があるからいい。自分から乖離してはならない。”

” クライアントを癒すことで自分を統合して行く。迷い、苦しみ、過去世の成就、善良な自分、
満たされなかったもの、それらを取り払って自由になっちゃうこと。
ハートを温めることと乖離からの離脱、自分が満たされる方法、やっていて楽しい方法で突き抜けること ”

などなど。
何とまぁ、今になってようやく全てが納得する内容でしたこと!

これらを聞いた時にも、うんうん、とは思っていたんです。
でもそれだけでは私は神智学的な縛りと言うか、イニシエーションの概念、いわゆる秘教的な教えから抜け出すには至りませんでした。
このワーカーさんが神智学をご存じない方だったからこういうことが言えるのだろうくらいに思えてしまったのですね。

それがようやく今になって、自分がエネルギー的なシフトを果たしたからこそ出会えた情報があって、私の場合はそれがネルダ・インタビューを始めとするウイングメーカー関連の書籍だったのですが、自分が解放されて良いんだということがようやく腑に落ちたのでした。

つくづく過去からの魂のパターン、クセは頑固ですよね。
私はそれを宿命と呼ぶのだろうと思います。そして宿命を使命、天命だと思って勤しむ場合が多いのでしょう。

魂が持ち越して来たクセ、パターン、宿命を放棄する、卒業する、カルマ的輪廻の因縁を開放する、などの姿を見せてもらっていて、中には使命だと思って地球へ持ち込んだ想念をワンネスへとお返しする人もいらっしゃいました。

本当に驚きます。そんなことが出来る時代になったのかと。
でもこうして、地球が本当に喜びの星になって行くと良いなと思います。

そしてもう一つ、おうし座天王星時代に入るにあたって私がとても大切だと思うこと。
それが、もう前述していますが自己との乖離を統合して行くことです。

乖離、分離したままのセルフとは、過去世であったり、今の自分であったり。
それらを私達は、現実の環境の中で他者に投影して見ています。
それが私達のリアリティになっているのですね。

だから、あなたは私 なのです。

目の前にいる人を自らがどう見ているか。自分の目に映る他者とは自身の投影です。

おひつじ座天王星時代に見つけた’私’を、現実に根付かせるために先ず必要なのはこの統合だと思います。
このプロセスを抜いて具現化だけを目指しても、分離した現実が生まれるだけでしょう。

3年前に私が聞いた、” 我をどれだけ愛せるか ” に、誰もが取り組む時代になっているのだと思います。

前兆カードに前祝いしてもらいましたので、私もそこをとことん具現化させて行きましょう。

銀河意識へ自己を開いて行くパスは、我をどれだけ愛せるかにあり、それは即ち、我をどれだけ統合出来るかにあるのだと思います。


今の私が綴る内容が響く方、響かない方、それぞれだとは思いますが、
もし響く方がいらっしゃいましたら是非一緒に歩んで行きましょうね。