食と性と、生きること。

晩秋の美しい時間のハズなのに関東は雨続きです。
まぁ、極度の乾燥が続いていたし私の肌もガビガビだったので、潤い、恵みの雨と言うことですね。

そんな中、先日土曜日には新宿ダイアログさんのイベントスペースにて、やまむらひろの先生のお話会を無事開催することが出来ました。
改めて関わって下さった皆様に感謝です。お越し下さった皆様本当にありがとうございました。



私の管轄外なのか、なかなかこちらへのお申込みが無くて不安だったのですが、
ユキコさんやひろの先生のお仲間セラピストさん達や、新宿ダイアログさんのお仲間さん、そして私の友人などが集まって下さって、蓋を開けてみればとても良いバランス。

何しろ新宿ダイアログさんのイベントスペースがとても良い環境なのですよね。
フレキシブルに使えて、開放感があって外は街路樹と新宿御苑も見える格好の場所。
しかも階下の素敵なカフェでは身体に優しいごはんやスィーツ、ドリンクがいつでも注文できるという素晴らしさ!

サロンは御苑を離れましたが、ここで培った繋がりは生きていますし、私の何よりの財産になりました。
またこちらで何か開催させてもらうこともあると思いますし、ひろの先生のお話会も次回を3月に計画しようとお話ししています。

で、そんなお話会は始終ひろの先生の多様性を受け入れる姿勢と経験、学びの深さから来る叡智に溢れるものでした。
本当の知恵者ってこういう人を言うのでしょうね。

食べ物の選び方、食べ方って本当にあちこちで色々言われますし、私もマクロビオティックを実践実習していた時期もあったので今でも食事の理論や知識のベースになっていたりはしますが、かと言って本当に自分や家族が健康で幸せな人生を歩むのに一番適したものがどれなのかは常々疑問でした。

食のお話会はそんなセオリージプシーに、こう考えたらどう? と投げかけて下さるようなお話で。

ストイックになり過ぎない、且つ食べ物の命の循環を心にとめて。
生き物をいただくのだから、その生き物がどんな生き方をして育ったか、ハッピーに暮らしていたか、を念頭に。
そして私たちの恒常性、免疫力や腸内細菌のバランスをより良く保てる食事とはどんなものなのか、種のお話や添加物、調理法、そして食べ方まで。

終わった後のランチでは、思わず無言でお料理と向き合って咀嚼に意識が向いてしまいましたね(笑)

意識している時はやるんだけど、つい忙しくなると忘れてしまう、疎かにしてしまうのが食事のこと。
でもこれも逆説的で、食事が疎かになる程忙しく生きる必要が、果たして私達にはあるのだろうか? そんなことも思ってみました。
だから昨夜の夕飯は私もプロセスを丁寧に、早めの時間から用意してみたり(笑)

多分こうして、毎日の在り方を見直して考えてみることが大切なんだろうと思うのです。
その指針となるようなお話を伺うことが出来ました。

午後は性教育のお話会。
多分こちらの方がハードルが高いけれど興味関心は強いだろうというタイトルですよね(笑)

私もこのお話会をユキコさんとひろの先生が熊本や西日本各地で開催していらっしゃるご様子を拝見して、これは是非東京でもやって欲しい! と願い出たもの。
昨今の子供を取り巻く環境や虐待事件、性被害の事件が目に入るにつけて、また銀河のオリオン評議会からも子供を取り巻く環境への懸念は指摘されていたものだったのでやらねばならぬと思ったものでした。

そしてこれは、お子さんがいる親御さんだけの話じゃないと思っていたもの。
私のように子供がいない大人でも、すべての人に共通するのが性なのですから。

そしてこちらの方がより感情的な感想になります(笑)

驚いたのは、お話を聞いているうちに私自身の子供時代の嫌だった記憶や悲しかったこと、特に性的に酷い目に遭ったワケではなくても、実は色々と感じていた恥ずかしさや惨めさ。
そんな嫌だった感情が思い出されて行ったことです。

そしてそれら、子供ながらに感じていた羞恥心や身体の悩み、異性にからかわれたり、また保健室で他のコと比べられるようにして行われる身体測定。
それらが全て人権侵害だったと知ったこの日の衝撃と安堵と言ったらありませんでした。

私達は知らず知らずのうちに個の尊厳やプライバシー、人権というものを蔑ろにされて来ていたのだと。
日本人はとかく自尊心が低かったり、個の尊厳、プライバシーと言った概念に疎いのですが、それもそのはず。
実は幼い頃よりそこを侵害されて育っていたのですね。

特に性に関すること、身体の発育に関する悩みや、思春期の成長に伴う羞恥心。
これらをケアし、自分の大切なこととして、また成長の歓びとして受け入れられるように教えてもらえていたらどんなに良かったことでしょう。

その先に、大切な人、愛する人との絆を深める性行為があると思えていたら、どんなに違ったことでしょう。

兎に角、日本の性教育はここが完全に欠落しているのだと分かりました。
性のお話はそのまま個の自尊心に直結するのです。
性を自任し、そんな自分を大切にすることが出来ると自ずと他者のことも大切に出来るようになる。違いを受け入れられるようになる。

だから、親子でそんなお話が出来る関係性が育まれるのはとても大切で素敵なことですし、親子だけじゃない、自分の内にいる小さな自分にもこのお話を届けてあげることがどんなに大切なことかと実感したのです。

この日の夜、私はベッドでまたつらつらと、自分の子供時代に感じていた羞恥心、嫌で嫌で仕方がなかった学校の行事などを思い出していました。

私は身体を見られる行為そのものが本当に嫌でしたが、田舎のあの時代にプライバシーなんて概念はほぼ皆無でした。
そして自分が初潮を迎えた時の嫌悪感とでも言うのか、羞恥心と嫌悪感が入り混じった感情も思い出していました。
私にとっては全然嬉しいことじゃなかったですし、親も気恥ずかしかったのか怒ったようなぶっきらぼうな口調で色々言われたので、なんだか叱られているような悲しい気持ちになったのでした。

自分のインナーチャイルドに、そんな性にまつわる傷があるとは本当に意外な、見落としていた部分だったなぁと。
セイクラルチャクラとハートチャクラにレイキをしたのは言うまでもありません(笑)

そうしているうちに、マトリーショカのような数層にも及ぶ私の意識構造の中の一番小さな中心部分の私が二重にダブって見えて来たのですが、それがカチッと、一つにピタリとハマる感覚とヴィジョンを覚えました。

置き忘れていた私のピースが、一つに統合されたのです。

もうこんなワーク今まで散々やって来ていたのに、見落としていた側面があったのですね。

もしかしたら私は、私自身のためにひろの先生をお呼びしてお話会を開催したのかも知れません。
多様性をそのまま体現する大人に、自分がそのままでいいんだよと受け入れてもらうという ”経験” をしたかったのかも知れません。

お話会の中ではディスカッションもありましたが、ひろの先生の姿勢はとても素敵でした。
全て、どんな考えや感じ方もアリで、且つ言いたくないこと、入って来て欲しくない処だってあって良い。

ご参加者のお一人が、「 全てオープンにしなくてもいいんですね。」 と仰っていたのがとても印象的でした。

そうなのですよね。

言いたくないことを抉られたり、無理にこじ開けて、私はこんなオープンな人間なんですって開示することが良いことのような風潮がありますけれど、私もこれはとても苦手です。

プライバシーの範囲、個のテリトリーとでも言いましょうか、それらには人それぞれの半径距離があるのだと、この日教わったことも私の救いになりました。


私がスピ系ワークショップがどうも苦手なのも、この辺りが関係します(笑)
だから私が主催する企画では出来るだけ、言いたくないことは言わなくて良いスタンスでいるつもりです。
人の感情や想念を扱うからこそ、スピリチュアルの世界は個のプライバシーや尊厳にもっと配慮が必要ですね。

性のお話でひろの先生が目指したいことは、子供が何かあった時に相談できる、アテに出来る大人を一人でも増やすことなのだそうです。

私のような存在は、子供からしたら親と言う一番身近な大人の外側、外輪の人間、つまり社会の人間となるのかも知れません。
けれどもその社会が全体として、自らのインナーチャイルドが癒され、正しい知識と然るべき伝え方を理解して子供を見守り育む視線と意識を持つことは決して無意味ではないと思います。

滋養の雨と共に、心の滋養のようなお話会が出来たこと、本当に嬉しかったです。
次回は皆様、もっと多くの方に届けられたらいいなと思っています。

ではでは。

橙香