海人の旅路 その7

続きますと書いておいて時間が経ってしまいました。

製作や他のことにエネルギーを割いていたので書くことにフォーカス出来なかったのが要因ですが、
あまり季節が過ぎ去ってしまう前に完結させておきたいと思います。


信州、長野。
父の実家が長野県南部であり、私は物心つく前に世田谷から父の実家へと移住しています。
ですので生まれ育ったとは言えず ”育った” 土地なのですが、出身を聞かれたら間違いなく長野です。

そして母は東北の出身です。岩手県南部ですので、蝦夷地方の中枢地域です。


私はセッションなどの際にもほぼ必ず、皆様にご両親の出身地を尋ねています。
それは都会だの田舎だのではなくて、それぞれの家系、血脈に流れる土地の意識や、そこで育まれた歴史、この国を形成してきた民族のDNAが、その方その方お一人お一人の中にどの様に存在し、その方の人生にどの様に影響を及ぼしているのかを理解するためです。

ご家系に流れる血脈のカルマ、土地の因縁、そしてそれらの土地に根付いた人々のルーツ。
それらを深く深く探ることは、今を生きる自分という存在の根本を理解することになります。

例として私の場合を言えば、父方の信濃南部という土地やそこに流れるエネルギーと、そして母方の蝦夷のエネルギーが交錯しているワケです。


日本の種族、日本民族と言われる純然たる種族は、実は存在しません。

この国の民はほぼほぼ、多種多様な民族が入り混じったハイブリッドです。

蝦夷と呼ばれるのは縄文よりはるか昔に北方より移動して来た民族でしょうし、大和政権を打ち立てたのは渡来系と呼ばれる中国、韓国から渡って来た人々であり、それもそれぞれの民族が交錯しているので一絡げには出来ません。
そして一方で、南洋系と呼ばれるのが東アジア~台湾、沖縄へと海を渡って来た人々でしょう。

これらの人々が何世代にも渡って移動を繰り広げたのだとしたら、日本と言う国の民族は既にタペストリー状態で、多種多様な種族のハイブリッドなのだと考えられます。

ですから私たちの意識や肉体のDNAに流れる記憶というものを可視化したら、きっと地層の様になるのでしょう。
幾重にも折り重なる記憶の層が、意識の中に息づいているのだと思います。

土地の歴史、家系の歴史を紐解くということは、そのまま私という自我意識を形成している地層を掘り下げることです。


それらを前提として今回私は久米島~伊勢~信州というルートを辿った自分の在り様を検証しており、それには信州南部が伊勢とどうかかわりがあるのか? と言う点を理解しておかなければなりません。

信濃のメインは中部~北部ですのでイメージが湧きづらいと思われますが、南部は少し勢力圏が違っていました。
古くは縄文人が住まい、そこに諏訪や安曇に移住して来た出雲族の一部が住み着いた場所ですが、出雲同様に国譲り神話が存在しているため、いつの頃かヤマト伊勢勢力にとって代わられたと考えられます。
つまり信州南部は伊勢の管轄であったと考えられますし、徳川時代にはそれは顕著なものでした。
実家周辺の古い史跡や神社を巡ってもそれらはとても色濃く存在しています。

それらに気が付いたのはこうして自らの家系や魂の系譜を辿ることを始めてからでしたので、伊勢、そして徳川のエネルギーはとても意外に感じられました。

がしかし、よく考えてみると実家近隣で一番歴史の古い神社が、山奥なのに御祀神は海の神様ですし、
父の話によると実家のご先祖は西方から来た人々であり、魚を採る人々だったとか。
現に、「網」という文字が地名に濃く残っていたりします。 魚を採る網ですね。

そんなかつて聞いたことのあった説に、今回より南方からのエネルギーが付加されたのです。

一方で母方を見ると、蝦夷地という土地ですので蝦夷の色濃いのは明白ですし、母の実家エリアはかつて奥州藤原氏の支配した一帯でした。
衣川、平泉にも近く、子供の頃遊びに行くと必ず決まって中尊寺へと新年のお参りに出向いていました。
祖父母の物静かですが気骨のある優しさを思い出します。 


また話を信濃に戻すと、今年は諏訪の御柱大祭がありました通り、今でも色濃いのは諏訪系統のエネルギー。
諏訪のお祭りには2種類あって、海洋族のお祭りと蝦夷系のお祭りが交錯しています。
御柱は海洋系で、御頭祭は蝦夷系。


と、あれやこれやを統括してみると、信州、信濃は南西からの海洋エネルギーと北東部の蝦夷エネルギーがもともと交錯して、交わった土地であり、海洋族系に至っては終着点とも言えます。
信濃から北東地域はほぼ蝦夷系になりますし、今でも電力のワット数の東西分割地点ですし、信濃は中央構造線に沿って今でも東西文化の境目です。

諏訪エリア、安曇エリア、そして南信エリアを辿ること多数回。
私の認識はその様になって行きました。


ではその土地に育まれ、その血脈を有するとはどういうことなのでしょう。

私にとって南信に住まうことは、決して楽しいことではありませんでした。
子供時代の記憶を辿るとそう言うことになります。

閉塞的な地域と、厳しい寒さ。
そこに育まれたキツイ性格の祖父母との生活。
長女だからというワケの分からない抑圧。

物心ついた頃からあの土地を抜け出したくて飛び出したくて仕方がなかったのですが、それは単に子供心からの反発だけではなくて、もっと深く私の内に流れている蝦夷の民の苦しみの記憶や、伊勢の過去世の記憶からのものであったのだと考えられます。

そこにようやく、南シナ海、琉球系、南洋のエネルギーが流れ込んで来たのです。
そのエネルギーによる反発、解放、開放が為されるために、私はこんなルートを旅したのだと
後々になって気が付きました。


自らの内にあった抑圧や、過去の歴史からの記憶。
それらを終わらせるために必要なのはその対極にあるエネルギー。

反作用的な働きによる、開放です。

これはカルマの解消法としてとても効果的なのではないかと感じましたし、
抑圧されて来た感情の解放であり、自分自身の起動していなかった部分を開くことであり、
新たな自己の側面、未開拓だった意識の分野を思い出すことでもあります。

南洋のエネルギーに自分がここまで心を揺さぶられ、小さな舟で大海原に漕ぎだした人々の意識に共振するということは、そう言うことなのだろうと思われました。

さて、ではその成果とは?

今時点で感じるそれは、 ”なんくるないさぁ。” です(笑)

小さなことにくよくよしたり目くじらを立てることが減って、何にも心配いらないという境地になって来たのです。
そしてさらに、自分がどうありたいのか、何をしたいのかが明瞭になって来た気がしますし、そこに忠実にあることだけを考えて良いのだと、より自己中心で物事を決定することに躊躇が無くなって来た気がします。

より嘘が無くなって来たのでしょう。

自分自身に対して嘘をつくことをしなくなる。

それが自己統合の成果の一つなのかなぁと感じています。

勿論他にも、後々気が付いて行くことがあるかも知れませんが。


旅を通じて自らの魂のカケラを統合することは、より軽やかに朗らかに人生を歩むことを可能にすると思います。
幾重にも重なる自らの意識の層を丁寧に整え、記憶のカケラを取り戻し、過去の傷を癒し、起動していなかったDNAの新たなスイッチを入れる。

私にとって旅とは、いつもそんな作用を持っています。 

血脈、霊脈のルートを辿る旅は、必ず貴方の人生を豊かに、よりあるべき姿へと導いてくれるものです。

折しもお盆シーズンを迎えますし、皆様もどうぞご自身の血縁、土地の縁、そして魂の縁を辿ってみて下さいね。

海人の旅路編はこれにて。

橙香