海人の旅路 その1

この春は、久しぶりに少し旅をしました。
大いなる潮流に乗った旅だった気がしていますので、その旅路について綴ろうと思います。


久米島を知ったのは、お友達の佐和子さんからでした。
彼女が3年前に初めて一人で島を訪れて、そこで出会った人々との間で温かな交流を持てたこと。
そしてまた戻って来るからと告げて帰って来て、リトリートの計画を立てていた中でコロナ禍になってしまったこと等を以前から聴いていました。

そして佐和子さんはこの春に是非とも島を再訪したいと言っていたのですね。
春先にはクメジマでは蛍が舞うそうで、そのタイミングで再訪して島の皆さんとリトリートツアーの下見や相談をしたいということでした。

私はそれらを、最初はふむふむと言った感じで聴いていたのです。
沖縄の離島という場所にまだピンと来ていなかったのですね。

がしかし、一昨年からずっと動けないでいることへのフラストレーションは感じていました。
自然の中で過ごす時間が圧倒的に足りない自覚も。
この2年、長野の実家へ帰省出来なかったのが大きかったです。


そんな中で今年の初めに、美容室でふと手に取った雑誌に久米島特集を見つけます。
そして美しい海の色合いと濃い自然の様相に魅入ってしまったのでした。

これ、ここ、久米島って、佐和子さんが行くって言ってた島だ! 

こんなところに私も行きたい! 連れてってもらえないかしら? 

そう思ったのが最初のきっかけです。

佐和子さんの友人、佑香さんがお正月に毎年行くと言う
宮古島の離島でのご親族との様子をSNSで見ていたのにもかなり触発されました。

温かいところで、自然にどっぷりつかりたい。海に入りたい。

 

私の深い部分が何かとても枯渇していたのも感じていましたので、
そろそろチャージが必要だったのでしょう。

佐和子さんに伝えると驚かれつつも快諾して下さって、
二人旅のプランが始まったのが2月ごろだったでしょうか。


まだまだ先だと思っていたのに、あっという間に出発の時期を迎えていました。



私は沖縄は初めてです。

行ってみたいとは思いつつも、どこへ行ったら良いのか、どこへ泊ってどう過ごせば良いのか、
ホテルも航空券も高いし、漠然としたまま過ごして来たのが初めて沖縄の離島へ行くことになったのです。

何かが動く時って、顕在化されている意識だけでは分からない潮流があるものですよね。
私は旅に出ると大抵何かしら霊的系譜や魂の旅路と重なる動きが起きるのですが、
今回も無自覚、無意識のうちに本当にそんな流れがあったのだろうと思います。

久米島はまた、太平洋戦争時に地上戦が無かった島だと聞いていましたので、
そう言ったことも敏感に感じてしまう体質の者にとっては有難いことでした。
(勿論それらへ思いを馳せることも大切なのですが。)

那覇でのトランジット時に時間が空いたので、
佐和子さんが空港からモノレールで国際通りへと連れて行ってくれたのですが、
そこでお昼を食べている時に強烈に感じる気配があって、それらはやはりそう言った類のものだったのですね。

世間話的につい、ウクライナのこととかに話題が飛ぶと、俄然それらの意識は強く訴えかけて来るものがありました。

”市井の人々の犠牲を、なぜ避けることが出来なかったのか?
もっと良い方法を取ることは出来なかったのか?”

そう伝わって来るのはウクライナ市民にも沖縄の人々にも通じる思いなのだろうと思います。

私も初めての土地で無防備で、目新しい色とりどりのお魚なんかに興味を惹かれていたので、
ダイレクトに受け取ってしまいました。

佐和子さんのお祖父様はインドネシアの海洋で船が撃沈されて沈んだそうでしたし、
私の祖父の弟がサイパンで戦死していて、以前家族で旅行した際に海にお神酒を捧げたこととか
色々と思い出すものがあって、そんなこともこの旅の最中二人で語り合いました。

久米島で気がかりだったのはハブのみ(笑)
土地自体が、本当に私の様な体質の者にとっては楽な場所でしたが、
その「楽」という感覚が、実は戦時中のあれやこれやに基づくものだけでは無いと気づいたのは
もっと後になってからでした。

島に着いた日の夜には早速、お世話になるゲストハウスのリミさんや、佐和子さんが前回お知り合いになった方々やそのお客様などが集う食事会を開催して下さって、早速島のリアルなお話を聞けたのもとても興味深かったです。

古くから琉球王朝の交易で栄えた島だったこと。
沖縄諸島の中で唯一お米が作れる島だったからとても豊かで、文化芸術が深まって行ったこと。
沖縄と一口に言っても島それぞれに独特の性格、気風や文化、風習があること。
皆が助け合って生きていること。
野菜が採れると玄関に置いていってくれること。それが収穫時ずっと続くこと(笑)

パイナップルにもシーズンがあって、今は実っていないこと(いつでもあるイメージだった)
マンゴーは野生でその辺に実ってるのを熟すのを待って収穫すること。
グァバやバナナと言った南洋フルーツにも色んな種類があること。

ハブに噛まれると武勇伝になること(笑)

などなど、全てが私にとっては異文化体験。

どこか実家の信州の古い時代にタイムスリップした様な感じもありつつ、
それでいて信州とは全く違う南洋の文化も感じます。

古い日本、忘れてしまった文化や風習、人々の繋がりが
今なお息づく島なんだなぁと言うのが強い印象でした。


そしてその根底には、海人のDNAが流れているのだなと。
海洋民族の意識と文化を、久米島の滞在中に私は
意識的にも無意識的にもたくさんキャッチすることとなりました。

先ずは、この辺で。
また続きます。

橙香