叡智の扉

こんにちは。

北の方から、冬の到来がちらほらと聞こえて来ていますね。
暮れの時間が早くなったのも実感します。

冬至まであとひと月を切って、年末へ。
そろそろもう、今年を総括する頃になって来ましたね。

キラキラだった昨日のサロン


光はどんどん強さを増して、闇を浮かび上がらせて。
私達はそんな内側の闇を癒し、認め、愛し、赦し、それは排除するべきものではないことを自分に伝えなおし、エマルジョンさせていく。


そんな試みがそこかしこで始まって行く時代であり、もうとっくに内なる自己の世界はその方向で進んでいるために、現実の事象はことごとくその動きを加速させるものであり、また気づかせようとして起こるものばかりに思われます。

個人も、家族も、企業も、組織も、国家も。

これまでの枠組み、セオリーが終焉する時代。

一人一人の生き方を自分で方向性を定め、生ききる時代。人間はそうしないとこの先の進化と魂の生末が危ういのでしょう。
そのためには誰もが、内なる自己の声からその奥へと、意識の世界からの思いに忠実に生きる人生を始める必要があって。

昨晩の満月を眺めながらの帰宅時にふと、私は内なる叡智を表現する存在であり続けたいと閃きました。

それはそのまま、ここ最近感じていた多くの外にある刺激や情報に覚える違和感への答えであり、ここ最近考えていたことの正体、なのかも知れません。

ハートの中心から湧き上がるエナジーと共に、私は内なる叡智を表現する者であり続けたい。

同じような業種、ヒーラー、セラピスト、霊能者、etc・・・ 名前はそれぞれにあってもなくても、その人が、自分が、内なる叡智からの声に従ってその仕事を行っているのか、はたまた人へ何かを伝えること、創造を行っているのかそうでないのか。

業種、名前、肩書、そこのカテゴライズに縛られず、私はそんな自らの内から発する声、思いによって動き、人生をクリエイトしている人が好きなんだなと。

Webで拾った情報や誰かから教えられた言葉じゃなくて、そこからインスピレーションを得ることは勿論あるけれど、それを自らの内で咀嚼して、自分の声と照らし合わせて、直観として得たエナジーによって自らのものとし、オリジナルを創造して発信しているのか、はたまた誰かの言葉をそのまま受け売りであたかも自分のもののようにして発信しているのか。

私はその辺り、凄く敏感に察知してしまうのです。

だから誰かの言葉、表現、メッセージに違和感を覚えたり、瞬間的に嫌だと反応してしまっていたんだなと理解したのでした。



ハートからの叡智。言葉にすると難しいものに思えてしまうけれど、そして叡智と言う言葉はもう使い古されたかのようにこの業界ではよく聞くけれど、その叡智とやらを本当に理解して人に伝えている人がどれだけいることか。

何だか私は、その辺りがおぼろげながら分かってしまったように思えてきました。

恐らく多くのヒーラーさんが、叡智という言葉を普通に使っています。
だってカードに書かれていたり、星や宇宙からのメッセージと称してネットで出回っていたりしますから。
でもその叡智とは本当は何か、一体どれだけの人が分かっているのでしょう。

その辺りが、昨夜の満月の光の下でふいに明るみに出たのでした。

満月の話を書きながら画像は光り輝く御苑(笑)

じゃあそれって何か?  叡智って何? そう思われますでしょうね。
でもそれは実は、他人に教えられることではないのです。

宇宙の叡智へと繋がるのは、私達自身のハートの中心。

そしてハートの扉を開くには、内なる自己の意識を見つめること。
能力とか、資格とか、肩書とか、そういったことは一切必要ありません。

ただ、そうですね。。。

それらに気づかせてくれる人との出会いや、起きる事象、その人との関係によって起こる摩擦の火がインスピレーションになってくれることはたくさんありますし、そう言った出会いもまた、潜在意識のお膳立てによるものなのでしょうね。

叡智の声は、内側からしかやって来ません。

そして意外と、そうだと分かっていなくても自然にその声に従って生きている人もいますね。
ヒーラーとかエネルギーとかスピリチュアリズムや見えない世界に興味がなくても。
私はそんな人も好きです。

有体に言えば自己信頼。

自らを信頼している人は、他者をも信頼します。

ハートの中心からのエナジーを生きる人は、他者の中にも同じくそれを見出すのですね。

本当の自由と自己信頼、そして愛を生きること。

私はそこを歩みたいし、ブレることは勿論あっても、いつでもそこに軸を戻せられるようにしていたい。

叡智は、貴方の内に存在します。

誰もの内に存在します。

そのアクセスキーをハートの中心に秘めて、私達は存在しています。

まだまだ私も言葉に出来ないものを感じていますが、
それは古めかしく堅苦しいものではない。とだけはお伝え出来るかなと思います。

菫香

黒い森の魔女

昨日の5時 ドコモタワーは時報をイルミネーションで

夕暮れが美しい季節になって来ました。
昨年はいつだったか、三日月がこのドコモタワーの頂上にちょこんと乗っかっているように見えた時期がありましたが、今年も観られるかしら・・・

昨日のセッションは、カルナレイキのシンボルを用いたヒーリングワーク。お久しぶりのお客様をお迎えしての時間で、終わった後の空が美しかったですね。

カルナレイキはすでに何度も述べているように、アストラル的感情の古く深い部分を溶かして行くような働きがあって、それがとてもパワフルに働くためにお客様へ提供することで私も一緒に変容の波を潜り抜けているように思います。

とは言え、見せられるヴィジョンはかなりユニーク。昨日は特にそうでした。

カルナは霊的な麻酔作用が効くので感情の追体験をしたりヴィジョンとして直面する必要がないと言うのが特徴なのですが、昨日はそのためか、ファンタジーの世界でストーリーが展開されていくという周到さがありました。

具体的なことを詳述するのは控えますが、昨日の舞台は何とドイツの黒い森に囲まれた古城。なぜドイツなのか分からないのですが、ドイツだって思うんですよね。

シンボルを使って行くと感情のしこりとなっているトリガーに値する人物が形造られて顕れたのですが、それがタイトルに挙げた通りの魔女だったのですね。

主人公に呪いをかける魔女。

その呪いによって主人公は、自分は絶対に幸せになってはいけない、とか、自分は愛を受け取るに値しない人間なのだ、とか、自分は決して愛する人に受け入れてもらえない人間だ、だの、不要なコントロール下に置かれて人生を歩むのです。

魔女の姿が顕れた時、呪いをかけた張本人である彼女の奥にあるものを理解しないといけないのは良く分かりました。
彼女もまた、その人生を哀しみや怒り、孤独によって歪めてしまった者で、人の不幸を自らの慰みにするしかなくなった存在なのですから。

魔女の瞳の奥の奥から、彼女のストーリーが浮かび上がります。

魔女はかつて、とても美しいお妃様のような女性でした。威厳もあるし気品も申し分ないお姫様です。

しかし夫である国王は、多くの妾との恋愛ごっこにうつつを抜かしていて彼女のことはまるで空気のように扱います。

彼女は幼いころより王宮に上がるべくして育てられたお嬢様でしたが、その王宮での生活はとても寂しく孤独なものになっていたのですね。

幼いころの彼女の姿は、自宅の館にある美しい池と庭で羊飼いのような男の子と仲良く戯れている可愛らしいお姫様でした。初恋の相手がその少年で。

そんなよくあるストーリーではあるのですが、こうして緩衝材的なおとぎ話を追いながらシンボルを用いて、魔女の姿になってしまった彼女、そしてその魔女に呪いをかけられていた主人公へとワークを行ったのでした。

黒い森に潜む魔女の姿とは、私達のシャドウセルフそのものですね。
潜在意識の森にじっと潜んでいて、私達の耳元でいつも呪いをささやく魔女です。

お前にはそんなこと出来るはずがない。

お前は決して人から愛されない。

お前には無理だ。

お前は幸せになどなれない。

そんな呪いをささやく魔女が私達の意識の森に潜んでいて、私たちの行動パターンに深く影響を与えます。


しかしそんな魔女が実は、私達が忘れたかった記憶、忘れたつもりになって意識の底のマンホールに押し込めた感情、それらを一手に引き受けている存在なのです。

だから、魔法の呪いをかける魔女は癒され昇華されると、望みや願いを叶える魔法で私達を助けてくれる存在へと変わります。

黒魔術が白魔術になるみたいな。

私自身、そんなセッションを昨日行ったためか、今朝自分のインナーセルフの姿が激変していて一体何があったのだろう? と考えてしまったほど。

でもすぐに、あぁ、私の内に潜んでいた魔女もまた昇華されたのだなぁと理解しました。

望むこと。

欲しいものを欲しいと素直に認めること。

愛されたい、愛したいと素直に思うこと。

そんな願望、欲求を歪めていると、歪んだ現実がやって来ます。
呪いが解けないまま具現化する現実は苦しいですし、虚しさや哀しみをふと感じてしまったり。

昨日のブログにも書きましたが、人間の感情とは複雑なもの。

一気に簡単に癒せるものでもありません。

薄皮を一枚一枚剥がすような、自分と大切に向き合う時間を要します。

それでも、その過程を経ること自体がギフトであり、魔女の魔法を解くための鍛錬の時間ですね。王子や騎士が姫を救えるようになるには鍛錬が必要ですから。

魔女に呪いをかけられた姫を救えるのは、内なるあなたのナイトです。
そしてそのナイトは魔女そのものをも救えてしまう。

自己探求とは、魔法の旅でもあるのです。

ご一緒に森の中を探求しませんか?

菫香

現象界を渡る意識の船

おはようございます。

久しぶりの投稿になってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

慌ただしい日々が過ぎてはや11月も中旬。
この前半のスピード感ったら、昨日振り返ってみてちょっと驚きました。
いて座の時間になったのもあるのでしょうか、いや、それだけじゃなくてもっとベースにある地球時間が早くなっていることを感じずにはいられません。


意識と肉体が追い付いて行くことが大変ですね。
調整が入るかのようにして、夫婦そろって風邪もひきましたし。

御苑も色づきました。

昨今は物理的な世界までもが変化のスピードが速すぎて精神が追い付いていない感がずっとしていましたが、それがようやく解消と言うのか何というのか、落としどころを見つけられたのが、キャンドル新作展での瞑想とクリスタル講座のテキスト製作の過程を経てでした。

お迎えしたキャンドルとワイヤーペンダント。



私はこちらのキャンドルと、そっくりなセラフィナイトのワイヤーを自分用にすることにしました。

展示会の期間中の瞑想はずっとこのキャンドルのようなモスグリーンのエネルギーを受け取っており、最後の日にはセラフィムという言葉が響いてきたので、もうこれはと思ってお迎えすることになりました。

セラフィナイト、身に着けていると鎖骨に沿って白い翼のようにエナジーが広がっています。ハートからハイハートに響くのですね。

1111のゲートを抜けた先の世界へと突っ込んできている私達ですが、どうやらこの先はいよいよ意識の世界と物理的事象の世界、現象界とのリアリティがグルンとひっくり返る時代になって来たなと言うのが、展示会中の瞑想を通じて理解したことでした。

リアリティと言うものの理解と見方が、ひっくり返るのですね。

エネルギーワークというジャンルでここ数年ずっと仕事を行って参りましたが、それはまさに、現象として顕れているこの物質界は意識世界、エネルギーの在り方が顕在化しているからという理解に成り立ちます。

即ち、現象、結果として顕れる物理的事象や人々との交わり、お金、生活。

そういったものを変えたかったら、意識のエネルギーを変えることが根本的な解決になると言うものです。

そしてそんな意識の世界、エネルギーの世界へどう入って行ったら良いのかを教えてくれるのが瞑想であり、クリスタルとの関り。

先日のクリスタル講座では皆さんにクリスタルと繋がってそのエネルギーだけで相手をヒーリングするワークを行っていただきましたが、ちゃんと皆さん出来ていましたね。

クリスタルと意識的に繋がるということを通じてエネルギーの世界を理解し、そのさらに奥へと、探求を深めて行くことが可能になると思っていただければ良いのかなと。

そしてまた、背後にある意識の世界、エネルギーの流れを読み取って行くと、人間の表層を一枚めくるとそこには全く違うものが潜んでいることが感じられます。

その都度、人間て複雑だなぁと思うのです。

複数の意識次元が潜在的に同時進行しているのですよね。無自覚なだけで。
タイムラインと言っても良いのかな。
だからクリスタルもそれぞれに多次元的にどの層へ響くのか、特徴はそれぞれ違っているし、エネルギーワークも然り。

レイキも、ウスイレイキとカルナレイキ、はたまたライタリアンやセイキムなどと各種ありますが、それぞれに響く次元、意識層が違いますが、それもまた人間の意識コングロマリットがそうさせているのだろうと。

現象界へ降ろされるエネルギーの形態がそうなっているだけのことなのでしょう。

物理的次元の現象に振り回され、その世界を生きるも由。

この世界の表層をひっぺがした世界を覗き込んで、そこから自分の世界を創造するもまた由。

そんな選択が一人一人成されて、進路が決定して行きますね。

先日の夕暮れ

生き方、在り方に自分で責任を持つこと。エネルギーも意識も自己責任と自立の時代。

集合的概念に閉じ込められていた意識を自らの中へ取り戻す時代は、大変ですが遣り甲斐があります。

来年にはクリスタル講座のアドバンス、上級クラスを設ける予定で、今回開催中のインテグレーテッドコースの2期も開きたいと思っていますのでまたお知らせしますね。

カルナレイキセミナーもお申込みをいただいて、いよいよという感じ。玉堂星倶楽部も新たな教材が加わって行きますし。

意識の世界を共に探求する魂達と、また処々に深めて行けたら嬉しいです。

菫香